BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130525 黒塚2回目

 

ゆうべ、帰ってから「黒塚」についてwikiなど読んで調べていたら、なおさらまた観に行きたくなってしまい、当日券キャンセル待ち狙いで木ノ下歌舞伎『黒塚』へ。自転車で都橋を通りがかる時、橋から夕景を撮っている女性がいたので、あっ、と思ったらやっぱりTKさんだった。

 

初日のお客さんに比べると初めてキノカブを観る人も多かったらしく、また昨日に比べて様々な点でノイズが少なかったこともあるせいか、緊張感が漂っていたけども、ともあれやはり圧巻。アフタートークも聞いてびっくりしたのだが……これは今はここには書かない。杉原&木ノ下コンビはもはや夫婦漫才の領域に差し掛かっていますね。最後、お客さんからの「あの人は何と闘ってたんでしょうか?」という質問とそれに対する邦生くんの受け答えに思わずほろっときそうになった。

 

終演後、十六夜吉田町スタジオのすぐ前にある水餃子の店へ。美味しくて安くて良かったんだけど、なんといっても店主の愛嬌がやばすぎる……。吉田町で演劇観た後の打ち上げはここですな。

 

 

ところでわたしは最近ずいぶんと他人に対して淡泊かもしれない。怪我をしてからその傾向はますます強くなった。ドラマティックな人間関係に巻き込まれて、そこで感情を燃やすようなことがもはやそんなに面白いとは思えない。優しくて耳障りのよい言葉をかけることが本当のやさしさだとは思えない。

 

『黒塚』にも確かに激しい感情の動きはあるのだが、それは物凄く長い年月を経てある種の「普遍」に近いところにまで突き抜けたものであると思う。物語、の原型は民話や神話だと思うが、それらが時間をかけて語り継がれていく中で、様々な異説を生み出しながら、それでもやっぱり別の(西洋とかも含めた)世界の物語と似ていくのは面白い現象である。

 

ではそうした物語に感動するとはどういうことなのか? 単に自分を重ね合わせて共感する、ということでは済ませられないものがある。『黒塚』の場合、ある種の同情を呼ぶ力はある。でも、同情というよりは、あの老婆に「あはれ」を感じるといったほうがよりそこにあるものを掬い取れるのではないか。「あはれ」は現代においてはかなり衰退している感情(態度)かもしれないが、簡単に白黒つけられないものに対して人間が持ちうるものではある。