BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130516 さよなら劇評論

 

電車でこまばアゴラ劇場に向かいながら、昨日「wonderland」(http://www.wonderlands.jp/)にアップされた3つの文章と、そのひとつをめぐる主に「劇評」にかんするやりとりをぼーっと眺めていた。そのやりとり自体は好ましいと思ったけれども、そこに自分が参入しようとは思わなかった。というか正直なことをいうと言葉があんまり入ってこなかった。劇評については、去年の2月にいろんな人によって繰り広げられた議論でこのように持論を開陳したので、ひとまず今はもうそれでいいかなと思っている。

 

http://togetter.com/li/255855

 

そこの後半でも書いたように、いかに実践し運動していくか。岩城京子さんのブログキャンプにチューターとして参加したのもその一環だし、この「wonderland」の往復書簡を企画した山崎くん、宮崎くん、落さんもそこに参加してくれた面々でもある。そういえば落さんに初めて会ったのは、上の議論が勃発していた最中での「wonderland」のイベントでだった。

 

とにかく若い人たちが登場してきてくれて、まあ、まだいろいろこれからだし、わたしだってまだまだ全然だけど(もちろん)、とはいえプレイヤーが増えれば好きなことをやれるなあと感じる。その議論に対して自分の闘志が湧かない、ということはつまり、自分の情熱はすでに別のことに向かっているのだ。怪我をしたこともある。明日死ぬかもしれない、ということを以前よりももっと(かなりの痛みと共に)身近に感じるようになって、だから今後は今まで以上に好きなことをしたい。それは、劇評について論じるよりも何よりも、実際に書く、ということ。もちろん人を育てる仕事もまだまだやる必要があるんだろうけども、とりあえず去年のブログキャンプやその他の機会で幾らかの種は蒔けた感はあるので、あとは野ざらしにして勝手に育っていくのを待っても別にいいかなと思った。野生からしか育たないものもあるだろうし。それよりも自分自身を変身させていきたい。

 

……とにかく自分が書くということなんだと思う。今求めているのは。

 

しかも、誰かのために、とかではなく、もう自分のために書くことしか考えていない(それが必ずしも独善的なものに陥るわけではない、といえるくらいの自信はできた)。

 

 

よく、小説を書かないのか、ということを、いろんな人に定期的に言われるし、まさに数日前にもまた言われたけれども、今のところその気持ちはないし、そうした構え方が自分に向いているとも思わない(オファーがあったら考えるけどたぶんないでしょう)。考えてみれば、小さい頃にも何かを書いていたけれども、それは(架空の)地図だったり設計図だったりしたし、演劇的なことも親戚の子を相手につくったりはしていたけれどもそれは戯曲がなかった。ご多分に漏れず漫画は描いたりしていた。あとこれは中学生に成り立てくらいだったと思うけど無駄に翻訳をしようとかも試みていた(残念ながらそっち方面の才能は伸びなかったようである)。最も小説に近いものとしては、ゲームブックをつくりたいと思って、実際に書いたりしていた。それはしかし、内容よりも、きっとあのゲームブックという(何番に飛べ、みたいな)形態に惹かれていたのだと思う。

 

それらの全ては単に少年時代の手慰みにすぎなかったわけだが、やがて文章を書く、ということを初めて意識しだしたのは20歳くらいの頃で、だいぶ遅い。とあるゲームについての感想だか意見だかをまだ黎明期のインターネット上に(ドリームキャストのコントローラーで)書いたら、案外評判を呼んだので、あ、文章書くのって好きかも、と思ったのが最初だった。なにしろひきこもり状態だったから、文章を通じて他人と関われるということを知って驚いたのだった。

 

 

要するに、もちろんいろいろなものをスリリングに読んだという意味では小説に対して大いに愛着はあるけども、それよりも、何かを書きたい、ということへの愛着というか欲望のほうがまずはあったのであって、それは別に「小説」という枠組みでなくてもなんでもいいっちゃあいいということになる。

 

それで今、何が書きたいのかと訊かれたらやっぱり「劇評」なんだと思う。といってもじゃあ「劇評」とは何かと訊かれたらそれは「何かを観たことによって触発されて書く散文」というのが今のところしっくりくる。

 

それを書きたい。

 

そのためには、今までとちょっと仕事の仕方を変えていく、シフトしていく必要があると思うし、実際すでにもうシフトしつつあるので特に問題はないのだが、それがますます可能になるだろう、という手応えをこの日のやりとりをぼーっと眺めていて感じたのだった。たぶんこれまで「自分がやらなくちゃ!」と思っていた仕事の大半は彼らが今後はやってくれるだろう。任せられるものは任せて、それでも残ったものだけをわたしはやりたい。(そういう考えって傲慢なのかしら? そんなことないよね?)

 

それはもしかすると、この現世的な肉体を若いひとたちに喰らわれて、その結果としてもう霊魂だけになったような状態なのかもなあ、みたいなことを(なぜか)漠然と考えつつ、アゴラにたどり着いて、二騎の会『雨の街』を観たら……なんだかまさにそんなような……。ともあれこの日記、あまりに長くなったので、感想については次の日に譲ることにしましょう。

 

 

 

あ、そういえば、深夜に長電話をした。最近よく長電話をする。そしてずいぶん口が悪くて、思ったことをほぼそのまま喋ってしまうのは、お酒のせいとかではなくて、夜のせいなのかもしれないですね。半分寝ながら喋っているようなものだし(でもその状態はけっこう好きかもしれない)。