BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130423 太田省吾と師匠

 
ストローなしで味噌汁が飲めるようになったのは大きな進歩であり、小さな感動を呼んだ。お風呂にも入った。少々のぼせて、しばらくうずくまる。一週間風呂に入らなくても、自分ではわからないが、たぶんそんなにくさくはなかったはずで、というのは寝ているだけでは汗もかかないし、タバコやら何やらの匂いに悩まされることもない。ただし髪の毛は整髪料を塗りたくったみたいに油っぽかったので、これでだいぶすっきりした。風呂からあがると、傷んだ顔の表皮がぽろぽろと剥がれて、ちょっとホラーだった。
 
……などと、自分の醜い肉体や生理と数日間じっと付き合わざるをえないというこの経験は、わたしの中の何かを変えつつあるかもしれない。
 
今日は一日、眼帯をはずして自宅で過ごしたのだ。最初明らかに平衡感覚がおかしくて、やや、これは目がおかしくなったかと思ったけれども、時間と共に感覚が戻ってきた。しかしよくよく見ると、左目の下はまだ少しだけ切れたまま。これ、くっつかないのかな。また手術が必要なんだろうか。うへえ。もしも生活に支障がないのであれば、手術は断ろうかと思う。だって、医師の手がちょっとブレただけで失明するような場所なのだから。もう二度とあんな手術、したくないよ。
 
ひさしぶりにブリコメンドを書いて、管理人をやってくれている落さんに送った。彼女に管理を託しておいてよかった。やっぱり若いひとにどんどん任せたり頼ったりしていこう、とひそかに思いをあらたにする。人は選ぶけど。他に、けっこうメールやら電話やらをした。だいぶ喋れるようになったのも今日の進歩だ。ただ、すぐにぐったり、つかれてしまう。まだ身体が深いところでは傷ついたままなのだなと感じる。
 
母親との電話でいろいろと話をした。わたしが母親に援助を求めないので、どうやらわたしに恋人がいるに違いない、と邪推しているらしい。遠回しにそのことを聞いてくるのだった。しかし自分はカノジョだとかもうそうゆう枠に嵌められた関係を求めるのではない感じでこの先を過ごしていくかもしれない、とにかく友人たちによくしてもらってるのでなんとか生きていけるから大丈夫だと答えた。母親は元気になったら旅行にいこうと言った、私の足が悪くならないうちにと。たしかに、彼女の年齢を考えるといけるうちにいっておいたほうがいいのかもしれない。韓国や台湾はどう?、すぐいけるよ、と訊いたけど、母親はアメリカにいきたいのだった。ニューヨークでブロードウェイが観たいのだ。わたしはというと演劇関係の仕事をしているにも関わらず今のところブロードウェイにはまったく興味がなかった。むしろヨーロッパか南米にいきたいわ。いずれにしても、円安がうらめしい。
 
怪我をしても涙の一滴も出なかったが、太田省吾の「役者の背中」(『飛翔と懸垂』に所収。『プロセス』にも再収録)を読んでいたらぼろぼろと泣いてしまった。別にそんなにお涙頂戴の話ではないのだけれど。ここに書かれた言葉に託されたものを受け取ってしまったのか。
 
太田省吾とうちの師匠は幾つかの点で似ていると感じる。おそらく、弱いひとがそこに逃げ込みたくなる、とゆう危うさも共通している。この点については、太田省吾を読みながらどうしても警戒してしまう。弱者の味方に見えるのだ。そして事実、弱者の味方なのだろう。それはいい。しかし、この言葉に甘えてはいけない。甘えてしまったのでは、とらえそこねる。
 
なんといっても両者に近しさを感じるのは、時間や沈黙への感覚だと思う。うちの師匠のゼミで、理由もテーマももう忘れてしまったけれど、最初の報告者の後(おそらくは相当シリアスな内容だったのだろう)、ディスカッションの時間になっても誰もひとことも発することができず、その沈黙が2時間ほど続いたあとで、最後に師匠がボソボソと何か喋って終わった、という時があった。あれは衝撃だった。
 
生活者と芸術(学問)との関係についても近しいものが……。や、とにかく、引用したいことはたくさんあるのだが、やっぱり今日のこれもiPhoneで書いているし、すっかりくたびれたので、今日はひとまずここでおしまい。
 
ひとつだけ。太田省吾が1939年生まれで、うちの師匠は1936年生まれ。今年、喜寿なのだ。またお会いしたいし、お祝いもしたいと思う。けども、それ以上に、きちんと、弟子である必要があるかなという気がしてきた。ちゃんと継承していく必要があるのではないかと思う。ただ、わたしはそれを自分の義務にはしない。わたしは自由だし、師匠とは様々な点で距離も離れている。もちろんアカデミックに引き継ぐわけでもない。だけどわたしの中の原点のひとつが確実にそこにある、とは感じていて、では「そこ」とは何なのか、ということをそろそろ蔑ろにはできないように感じはじめてもいる。一周まわって、ふたたび。……太田省吾が「自己」にこだわっているのを読んだせいかもしれない。歳をとると、「自己」にこだわるのはむつかしくなってくる。様々なごまかしが可能になるから。そして抑圧する。社会とか他者とか歴史とかの名をもって。でもそれで本当に社会とか他者とか歴史とかに至っているのか、と太田省吾は鋭く問いかけてくる。ぐるぐると回りながら漸進してくる。真摯な思考と言葉の持ち主だなと感じる。ぐっと沈潜して何かを見極めようとしていく力がある。そうした思考や言葉は、きっと、時が経っても生き残る。
 
明日は車を出してもらって、吉田町にマームのB日程を観にいく予定。いけるかな……。少しずつ、できることをひろげていく。