BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130421 事故、からの

 

 
事故をしたのが16日火曜日の深夜だったので、それから5日ほどが経過したことになる。劇的に症状が改善されるということはやはりなく、それなりに日数がかかることを覚悟したほうがよいかもしれないと思い始めている。幸いにして、心温かい友人たちからのメッセージや、具体的な手助けのおかげで、どうにかやっている。母親から何度か、そっちに行こうか、何か送ろうか、と連絡があったけども、とりあえずは大丈夫と伝えた。何かしてあげたいと思ってくれているのは嬉しい。お気持ちだけはありがたく。
 
事故当日からのこの5日間について、特に日記として順序立てて書き残しておきたいことはない。というか順序というものにもはやあまり意味を感じない。いくつかのことは確かに起きた。起きなかったこともある。友人たちの具体的な援助にはとてつもなく感謝している。ただひとつ、非常に残念な連絡もあって、しかしそんなの今に始まったわけではないし、特に怒りも沸かなかった。若い時分であればそうはいかなかったかもしれないけれど。とはいえ、人を信じる心を根底から揺さぶられるような出来事ではあったので、かなしくて、というか、胸が痛んで、なかなか寝付かれなかった。精神崩壊してもおかしくはなかった。あれは確か18日木曜日の夜だったと思う。金曜の朝、磯子にある病院に向かうタクシーの中で、まだそのことを気に病んでいたから。とはいえそれももうわたしの中では解決したし、特に蒸し返すこともない。何かを糾弾することは時として必要だけれども、今はその時ではないと感じる。そこに白黒をつける必要も感じない。人間は完璧ではないし、たまたま悪い部分が発露してしまっただけなのかもしれない。なにしろ非常事態ではあったのだから。
 
それはさておきその眠れない夜に何を読んでいたかというと、フーコーの「養生術」にかんするテクストで、『性の歴史』の第二巻に収められている。フーコーについては、その思想の概略をつかむこと自体はさして難しいことではないけれど、こうして元のテクストを、翻訳であるとはいえ、読み物として捉えてみるとなかなか面白い。その日は、古代ギリシャに生まれた「養生生活」という発想が、人間の生活、もちろん性生活も含んだそれを、いかにほどほどのものにするよう推奨してきたか、が淡々と記述されている箇所を読みながら、みのもんたの顔を思い浮かべたあたりで眠りについた。
 
眠りたい時には、少々お固い本は最適。
 
ただ、ずっと寝ているからといってめちゃめちゃ本が読めるわけでもない。最初の頃は傷の痛みもあったし、なにより気持ちが満たっていないので、ぼんやりとスマフォをいじったりしてしまう。怪我をする直前にiPhoneアプリで購入していたFF5は、ついに第三世界にまで突入してしまった。しかし別に面白くてやっているわけではないのだ。それは過去の自分が、スーパーファミコンで体験した軌跡をなぞっているだけであって、ビッグブリッジの決闘の音楽を聴いてさえワクワクしない。たぶんもはや、ここで表現されている物語世界の善悪の感覚や、2Dでのぺこぺこした表現といったものに、自分の興味関心や嗜好が収まりきらなくなっているのだと思う。ネットですぐに「答え」がわかるようになってしまったのもつまらない。前はそんなことはなかった。もっと「世界」はひろく感じられたのだ。そこであるひとが先日言っていた「私はルールの決まっていないもののほうがいい」という言葉が思い起こされてきて、最初聞いた時はちょっと反感をおぼえたのだが、時間差で、あ、なるほどね、と思って、とりあえず部屋のあかりを全部落として暗くして、外に降っている雨の音を聴いていた。音楽をかけてみた。大体わたしは弱るとグレン・グールドしか聴きたくなくなるので、この時もそうだった。そうしているうちに眠りについた。
 
いったい、寝たきりでは、規則正しい生活というのは不可能なのだ。「規則正しい生活」もまたあの「養生生活」の一貫にすぎないとも言える。それはたぶん、朝起きて、働いて、夜寝る、といったひと向けに推奨されるもので、しかし例えば農村の時間の流れとはそれはまったく異なっており、要するに会社や学校というシステムにアジャストするために奨励されているのだと思う。だからわたしがそれに倣う必要はない。眠りたい時に眠る。すると、いや、それとは関係ないかもしれないけど、夢が、ずいぶんと、色濃いのだった。わたしはつねに夢を見るのだけれど、以前はあくまでイメージの連鎖であって、登場人物もずいぶんとあやふやでその境界が溶けているし、くるくると自他も入れ替わるのだが、近頃は、というか事故の後は、人間がずいぶんはっきりしている。輪郭が確かなのだ。実在する人物の場合、現実のそのひとのキャラクター、だとわたしが思っているイメージや、声は、本人そのままに近くて、だからわたしの脳内にインストールされたキャラクターがそのまま夢に出てくる感じ。ただ登場する場面はもちろんへんてこで、アメヤさんが、うちのテラスでピアノを弾いていたのには驚いた。だけどそのピアノは全然音が鳴らない。わたしに聴こえなかっただけなのかも。
 
あと夢ではほぼ毎回、同じ町にいくようになった。そこは以前も時々いっていた場所にも思えるのだが、近頃あらわれるその町には、路地が闇市のようになってて、そこに、安食堂が軒を連ねている。安いとはいえ、どの店も特色があって美味しそうなのだ……
 
そう、いま、食べられるものが限定されているのがつらい。唇が腫れているので。うまく喋れないし、笑うだけで痛い。そのおかげで、味噌汁をストローで吸うという特技を身につけた。ちっとも嬉しくない。
 
左目の眼帯がまだとれないせいで、平衡感覚や遠近感がつかめない。パソコンに向かうとすぐにくらくらしてしまうし、全然仕事にならん。ちなみにメガネもぶっ壊れた。そんなこんなでこれもiPhoneで書いている。手の込んだ調理もできない。お風呂にも、首から下は入っていいと医師には言われたけれど、左の膝小僧がまだかなり痛くて歩くにもひきずるレベルなので、こわいから身体を濡れタオルで拭くだけにしている。およそ清潔とは言い難いので、そろそろちゃんとシャワー浴びたい。
 
事故は予期せぬことだったけども、やはり、この前の日記で書いていたように、エントロピーの増大は危険なのである。今にして思えば危険な予兆はあった。あの日は朝から足がよく動かなかったし、だから温泉銭湯にいったのだけれど、それでも疲れはとりきれなかった。それが事故に直結してしまった。何日間か、自分でも驚くくらいフラストレーションがたまっていたので、起きるべくして起きたかな、とも思わなくない。この程度の怪我でまだよかった。打ちどころが悪かったらどうなっていたことか。事故の瞬間の記憶はない。飛んでいる。すっぽり抜けている。自転車で走っていて、気づいたら仰向けに倒れていた。近くのスナックのひとが救急車を呼んでくれたらしい。血塗れになったタオルを見た。誰の血か、まったく現実感がなかった。自転車の鍵をカバンにいれておくね、とスナックのひとが言ってくれたのは覚えている。やってしまったな、と思って、救急車に運ばれた。他に選択肢はなかった。救急車の中では、救急隊員とちょっとした世間話をした。今日は運ばれるひとが多いとかなんとか。無音カメラで写真も撮った。それらの行為は、無意識の気晴らしでもあったかもしれないし、意識的に、職業病的に、取材しようと身体が反応してしまったのかもしれない。それがいけすかないと感じる人もいるのだろう。でもそこで黙り込んでいたって結果は同じだ。それなら好奇心のほうが勝る。
 
今日はこの程度にしておこうかと思う。本当は、もっと断章として、メモとして、断片を書きつけておこうと思ってiPhoneをいじりはじめただけだったのだけれど、思いのほか書いてしまった。今読み返してみたけれど特に面白くもなかった。外は風がつよい。とてつもなく寒い。
 
今はお酒は全然飲みたいと思わない。でも、せいのつくものは食べたい。肉食べたい。肉が。この身体は有機物だなと感じる。なにしろ夢の世界から戻ってくるたびに、まずしなければならない作業は、上と下の唇が血糊でひっついているのを痛みを伴いながら引き剥がす作業なのだ。ちなみにチェルフィッチュにどうしてもいきたくて、土曜の夜に眼帯を張り替えた時、それは手術のあと初めての左目とのお目見えだったので、こわごわだったのだが、それも左目の瞼をこじ開ける必要があった。時期尚早だったかもしれない。とにかく目が見えてほっとした。なにしろ、眼球に金属をあてて保護して、目の下を縫うのである。時計仕掛けのオレンジを思い出しながら。しかもそれを2日続けてやった。もうそれはいい。終わったことだから。とにかく人間は有機物であった。月並みだけど生きてるって凄い。生きてる生きてる。そして菜食主義者ではないわたしは殺生をしてこれからも生きていくであろう。とにかく今は肉が食べたい。たぶん、すごく美味しいと思うんだ。美味しくてきっと泣いちゃうな。