BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130413 フラストレーション

 

朝、地震で目が覚めたのだか、起きてなんとなく地震のニュースを見たのだったか、忘れたけれども、とにかく早朝に目が覚めて、小豆島にいる宮永くんと、高知にいる母親には安否確認の連絡をして、大丈夫そうだったので、また眠りについた。

 

CoRich舞台芸術まつりの審査で犬と串の『左の頬』を観たけど、わたしにはかなりつらい芝居だった。瞳子ちゃんの元気な姿を見られたのは嬉しかった。でもこういう芝居が好きな人もけっこうな数いるのだろう。それが、演劇の多様性にとって、良いことなのか、どうなのかは、ちょっとわたしにはまだよくわからない。でも自分としてはこれがイケてる演劇だとはとても人に薦められない。いずれにしても、CoRichの「観てきた!」に感想を書かなければならないので、そこで批判をすることになりそう。有意義な議論になればいいんだけど。ちなみに、twitterに連投した幾つかのことは、この作品をまず念頭に置いて書いた(それだけではない)。

  

できればそのあとは、シティボーイズミックスの当日券に並ぶか、生西康典さんの『おかえりなさい、うた』のアンコール上映に行くかと考えていたけど、体力的に完全に不可能……。瀕死の状態で帰宅していたところ、目黒駅でふと、あ、そういえば温泉あったじゃんと思い出し、急遽、目黒線に乗り換えて武蔵小山に向かった。

 

風呂上がりに牛太郎へ。しかし大混雑で入れず、例の立ち飲み中華に進路変更。あの娘はまだ働いていて、場末感が増していた。店のカウンターには老婆がいて、いらっしゃい、と声をかけてくれたが、どうやらただの客らしい。言語障害のある若者が来て、コーラと幾つかのつまみを食べて帰っていった。不思議な時間の流れる場所だった。しばらく読書に耽っていたら、近隣にお住まいのデザイナー氏が、ツイッターを見たのだろう、子連れでちらっと顔を出してくれた。休日なのにありがとう(だからあえて声かけなかったの)。子供、かわいい。まだ1歳に満たっていないみたい。

 

 

夜の自分の「遅さ」に関するつぶやきは、撤回しようとは思わないけど(日頃から思っていることだから)、少し酔っていたかもしれないなと思うのは、「べき」という言葉を使っていたことで、ああ、これは相当、自分はストレスが溜まっているのかもなーと次の日の朝起きて思った。そしてそう簡単に誰かの固有名詞を出すものではない。出されたほうもきっと迷惑だろう。でもこれも日頃から思っていることだから仕方ないとも思う。以下引用。

 

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もしも本気で速度を求めるのなら(遅い自分、に安住しないなら)必要なのは乱打だと思う。とにかく打って読んで書いてつくって淫すること。ある分量を経ないと見えないことはある、とは断言できると思う。自分も足りてないけど。

しかし大抵の人は「遅い自分」が大好きなんだと思う。遅くても全然いいけど自分がそれを好きなうちはそれ以上ひらけることは無理かもしれない。そんな狭いちっぽけな自分を守るよりももっとやるべきこと、やったほうが面白いことは世の中にごまんとあるからね。

問題はそのうえでなおある「遅さ」なのだと思う。これは瞠目に値する。フリや自己保身じゃなくて思想だから。例えば太田省吾はたぶんそれを考えてたんだと思う。現在の作家では鳥公園の西尾佳織くらいじゃないでしょうかこの答えの見えないような時間感覚にじっと取り組んでいるのは。

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このツイートの引き金になったのはとある人のつぶやきを読んだからだけど、彼女に対して(もちろん)悪意を持っているわけでは全然ないし、彼女に対してだけつぶやいたわけでも全然ない。わたしは、自分の「不器用さ」にひらきなおるような感じがあまり好きではないのかもしれない。少なくともそうした振る舞いに苛立ちは覚えるらしい。ちなみに昨秋のブログキャンプの時から、参加メンバーに口を酸っぱくして、とにかく吸収量が足りてないし、読書量は絶対に必要だよ、量は大事だよ、とか言い続けていたけれど(えらそうに! でもそういう役回りの仕事だった)、その点に関してはあんまり実感として伝えきれていないなーとも感じていたので、あの時からの継続した気持ちもあったのだと思う。もっと広い世界にいきましょうよという。とはいえ、ブログキャンプの面々のその後の活躍に関しては、不満がないどころか、頼もしく感じているのだけれど。

 

自分がまだまだ至っていない、という実力不足を、将来に対する漠然とした不安とかではなく、具体的な手応えを伴った実感として得るためには、その(一種の)精神的牢獄を抜け出して次の段階にいく必要があるのかもしれない。抜けてみて初めてわかることがある。とはいえ、誰だって自分が大事だし、可愛いし、自分の履歴に何か重大なものがあると思いたいから、どうしてもそこに固執してしまう。でも、そんなふうに固執するほどのことだろうか、という気持ちも、その段階を(いちおう、何度かは)抜けた身としてはあるのだ。殻を脱いでみないと、自分が殻をかぶっていたことはわからない。(えらそうに!)

 

つらつらとえらそうに書いているけれど、ここで書いていることは、当然、わたし自身にも降りかかってくることで、わたしもきっと今、ある何かしらの殻の中にいるのだろうと思っている。少なくともそう思えていることは大事かなと思う。そこからいかにして抜けていくのか。わたしは常に脱皮していきたい。どんどん変身していきたい。だからこそ、わたしはわたしの将来に対して、ほとんど計画していないし、これからもたぶんしない。おそらくはこの先も自分の予期しない出来事が起きるし、大事だと思うのは、予測不可能なチャンスが訪れた時に、サッと動けるような状態に自分の身を置いておくことだ。

 

2011年の震災後に、(観光業の不振で)宿泊費が安くなっていたので、箱根に何泊かして、いろいろ考えた。これからどうするのか? 今、何が必要なのか? 仕事も幾つか飛んでしまっていたし、そもそもあんまり仕事をするような気持ちにもなれなかったので、とりあえず温泉にでも入っていろいろ考えようと思ったのだった。そこで、自由に身動きできるメディアこそが今の自分に必要だなとある時ふっと感じて、BricolaQを立ち上げた。マンスリー・ブリコメンドを始めたのも、だから、この後である。そしてこの時から、自分の肩書きに「フリーランサー」を加えるようになった。そこまでこだわっているわけではないので省略することもあるけど、これは、ファイナルファンタジーでいえば「すっぴん」か「たまねぎ剣士」みたいなもので(わかりにくいかな?)、何者でもないけれど、様々な技能を持っている、という状態を指す。「肩書き」というよりも「状態」であるのがポイント。

 

わたしはもっと広い世界を見たいし、はっきり言って、全然現状に満足はしてないので(特に不満があるというわけじゃないけど)、自分の現時点でのちっぽけな殻を守っている暇なんてないのです。

 

守備力はかぎりなく低い。どんどん打ち込めばよろしい。たぶん、ガシガシHPを削れるから攻撃するほうは爽快だろう。ただこちらとしてはMPを無限に近いくらい持っていて、あとはベホマさえあれば全然大丈夫、って思う。たまに宿屋に泊まればいい。そんな感じでやっていきたいと思います。

 

 

さてつらつらと書いてきたけれど、結局のところ今のこのフラストレーションは、自分自身に起因している。じっくりと読み、じっくり書くことをしたいのに、時間がブツ切れになってしまう。そこに苛々している。

 

スキゾフレニックにあらゆる場所に足を運んで吸収・発散したいという欲望と、隠遁生活者としてゆっくり流れる時間の中に静かに潜みたいという欲望。この両者をうまいことバランスとってやっていくのは不可能ではない。それができていないのは、単に自分が未熟だからなのであって、他人に八つ当たりするのはお門違いだと反省したい。

 

結局わたしにできるのは何かを投げ続けることだし、拾ってもらえることもあればそうでない場合もある。「拾ってよ」と声をかけることはできるけど、「拾え」と命じることはわたしの趣味ではないし、もちろん、無理矢理拾わせることなんてできない。他人は他人。知ったこっちゃない。だけど、後輩はかわいいのだ。