BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

130331 藍島

 

人生を変えるかもしれない忘れられない一日になった。のこされ劇場≡の新人(3月から引っ越してきた)鈴木萌嬢もこの冒険の旅に参加してくれたのだが、彼女が来なかったらこんなミラクルは起こりえなかっただろう。というのは、島の女の子たちが、興味を持って我々のパーティにくっついてきたのだが、年齢が近くて女性でありフランクな彼女がいなければやはりそれは難しかったはずだ。しかしそれにしても、この島ではいったいどうしてこんなに猫も子どももひとなつっこいのか、というと、やはり警察がいないくらい治安が良くて、というのは、誰も特に監視はしていないけれども、島を歩いていれば誰かに会うし、子どもたちがあの町からやってきた連中についていった、ということも、島の多くの人がたぶん知っていて、道ですれ違えば必ず挨拶はするし、だから、子どもたちは島の人たちにゆるやかに見守られながら育てられている。で、そのうちに女の子の弟が参加し、兄が参加し、一行で、わいわいビーチと呼ばれる海に行ったのだが、わたしと市原君はすっかりくたびれていたので砂浜で数十分間眠っていた(そのあいだ萌ちゃんが子どもたちの相手をしてくれて助かった)。海が冷たくて気持ちいい、と言ったら、「そんなテレビみたいな感想をなんで言うの?」と女の子になじられた。そのくせ、自分たちはあとで「きもちいいー!」ってふつうに叫んでいた。

 

少し時間を遡る。「トトロの道」を抜けて給水タンクに行って、そこのソーラーパネルの上で寝っ転がったりしたのだが、あんな素敵な経験はおそらく今後(あの島以外では)ないだろう。それにしても彼女たちはどうやってこのパーティに参加したのかというと、神社があって、そこの前に坂があって、ひえー、これのぼるのか、みたいに思っていたら、ちょうど彼女たちが通りがかって、というか、たぶん彼女たちは暇をしていて、船に乗ってやってきた我々のことを最初からマークしていて後を付けてきたのだと今となっては思う。とにかくそれで、近づいてきた彼女たちに「この坂のぼったことある?」と訊いてみたらいろいろ教えてくれて、もっと高いところがあるよ!、と言われて給水タンクに連れていってくれたのだ。島の人しか知らないような獣道を抜けて。

 

子どもたちはなかなかに口が悪くて、通りすがりの島の老婆に「ひじきにカセイせんと?」と言われた時に、その意味をあとで訊いたら「そんなことも知らないの? あなたダサいのね」と一蹴された(どうやらそれは、この集落の家計を支えているひじきの生産を手伝うといった意味であるらしい)。そもそも最初から我々は「トトロ(市原君)、メガネ(わたし)、女(萌)!」と綽名で呼び捨てにされて完全に彼女たちにペースを握られていた。「女」って綽名は凄いなと思った。綽名はいろいろと変化をして、わたしはなぜか「ショーイチ」と呼ばれる時間帯も一瞬あったし、ひどい時は「ゾウリメガネ」と呼ばれた。まるでゾウリムシになったような心持ちになる。彼女たちは自分たちに都合の悪いことになると、「こどもだからわからなーい!」とか知らんぷりをきめこむのだった。学校では猫をかぶっているらしい。「猫をかぶる」なんて言葉どこで覚えたのか。とはいえ芝居では友だちと喧嘩をして見事、白雪姫の役をゲットしたとか。彼女たちは根は超いい子で、全然すれてなくて、目に見えないものも信じている。「トトロの道」と呼ばれるようなところの先には、まっくろくろすけがいると信じていたし、サンタクロースにゲームをもらったりもしてるみたいだし、山姥の存在とか、昔使われていたらしい火葬場の幽霊のことも、なんとなく気にしているようだった。それと、島には猫が多すぎて「はみでる」時があるらしい。どういう意味?

 

「町」、つまり小倉には週に2度ほど行く。ガムなどのお菓子を調達したり、髪を切りにいったり。女の子は、男性の美容師に髪を切ってもらうのが嫌だ。彼女は写真もあまり撮られたくないと最初のうちは言っていたが、わたしのiPhoneを強奪すると写真を撮るのにはまって、最後のほうは写真への抵抗をほぼなくしていた。

 

弟クンは銭形のとっつぁんをルパンの父親だと思い込んでいるらしく、「ルパンのお父さんって名前なんだっけ?」「がにまた警備でしょ」といった会話を繰り広げていた。

 

事件が起こって、島の人たちを巻き込むことになった。島の北側にある海を見に行った帰りに、弟クンが坂道をくだろうとして自転車でド派手にこけてしまい、鼻血をぼたぼたと垂らし、しかし彼は一瞬泣き叫んだだけであとは泣かず、なかなか偉い子だったのだが、とはいえおでこに青たんもつくっているし、なにしろ水も氷もないので、消毒とか早くしてあげたい、けど集落までは遠いし、困ったな、と思っていると、ちょうど親切な島の人が車で通りがかったので、事情を説明して車に乗せてもらって、集落まで戻るとお母さんが待っていて、「うちの子になんてことしてくれるんだ!」って怒られるかと思ったけどそんなことは全然なく、むしろご迷惑をおかけしてごめんなさい的なことを言われ、しかしやっぱり正直申し訳ない気持ちと、このままだといつかは怪我をするんじゃないかという予感はあったので(なにしろ子どもたちの無鉄砲ぶりは凄まじいから)、なんと言っていいのやら、少しいたたまれない気持ちになった。わたしは先に弟クンと車で帰ってきていたので、他の面々が戻ってくるのを、この日唯一この島で営業していた商店(ビールやらカップラーメンやらポテトチップスやらを買ったので今日はだいぶ売り上げに貢献したはずだ)の前にあるベンチで待っていたら、黒猫がすり寄ってきて、ああ、なんだか慰めてくれてんのかなー的な気持ちになったりした。そうこうするうちに彼らのおじいちゃんがやってきて、おじいちゃんと言ってもわたしからするとまだ若いようにも見えたけれども、彼は淡々と、今はここには書けないようなことを喋った。……人間の世界にはいろんなことがある。ところで、島には医者がいない。新しい看護婦さんも明日(4月1日)に赴任するらしく、島の困った問題のひとつである。しかしこのおじいちゃんは魅力的な人で、一家で民宿を経営している。実はその情報はすでに女の子から訊いて知っていた。子どもたちは、できれば我々が帰りの船に乗り遅れて、泊まっていってくれたら嬉しいと思ってくれているみたいだった。

 

そのうち一行が帰ってきたけれど、みんな、遊び疲れたのと、最後に弟クンの怪我があったのとで、しょんぼりしていた。おじいちゃんが、あんたらよかったらうちに来てお茶でもいかがですかというので、お詫びもしたいしと思って、お邪魔することにした。砂まみれの足をシャワー室で洗わせてもらって、部屋にあがって、お茶をいただいたのだが、そこには立派なひな壇があり、天皇や先祖の肖像が飾ってあって、勲章も額に入れられていた。なんでもこの家のひいじいさんがもらったもので、島への郵便配達を32年も1日も休まずに(母親が死んだ日も配達をしていたらしい。というのは、葬式は自分がいかなくてもできるけど、配達は自分にしかできない、と思ったからだ)続けたということで、(郵政民営化の)小泉純一郎が首相だった時に表彰された。皇居で。……という話をご本人から直接聞いた。というのは実際にご本人がいらっしゃって、彼はテレビにも呼ばれたりする有名なパフォーマーでもあって、アコーディオンやらハーモニカやら、ひとりでオーケストラをやってしまう多芸な爺さんだったのだ。今年で85歳になる彼の方言は独特で、ちょっとついていけないところもあったけれども、これまたユニークな人だった。この頃にはもう子どもたちも元気を回復していて、お兄ちゃんがビックリマンシールのコレクションを見せてくれたり、DSで動画や記念写真を撮ったりした。そうこうするうちに帰りの船の時間が来たので、名残惜しいけど帰ることに。この民宿に宿泊していた京都からの地質調査の学生さんもなぜか巻き込まれ、みんなで港まで見送りに来てくれた。彼らは、姿が見えなくなるまで、手を振ったり踊ったりしてくれた。姿が小さくなっても、踊ると、その姿が見えた。こちらも少し踊ってみた。ダンスって、こういうことかもしれない。

 

 

 

 

 

この写真は馬島。以下は藍島。