BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

島に移住する人々の話

今夜も夜なべ仕事。わりと良い一日だったけど仕事の大変さを思い知りもして感謝とか、畏怖とか、心配とか、安堵とかそういった感情たちが混在してもはや何かしらの集合体なんだなって感じを受けている。ふっ。溜息をつくと幸せが逃げるとかいうから伸ばさずに息を吐いてみるのでこうなるのだふっ、ふっ。ところで日頃あんまりお目にかかれない珍味をわりと安価で食べられるのってやっぱ横浜の美徳だと思いますね。香辛料でぴりぴりしているこの舌が肥えるといいなって思ってますね。夜は夜でお客も店員も全員中国語を話しているような店で羊肉やら、激辛の豆腐炒めやら、を食べたんだけどその店には狗肉もあってつまりは犬。どうやって輸入してんの? それとも日本製なの? 超怖いけどいつかチャレンジしてみなくっちゃって思っていて、でもその好奇心ってどこまで進むんだろう、まさかニンゲンを食べたいとは思うまい、とか考えながら実際人肉を食らった人々もいるわけなので人間の好奇心や趣味習慣は怖いなあって思う。
ここ数日の新しいチャレンジは自分にとって超えてはいけない一線を超えている感もあるけれど、リミットが揺さぶられることで何か今まで知らなかったものが生まれきてる感もあるし、そもそも自分って枠を設けて自縄自縛になってたんじゃないのって気も逆にしてきつつあるのだった。とはいえそれなりに長い社会生活を送ってきてもいるので破滅するようなことはきっとないだろうと思いたい。これは破滅願望ではないのだから。しかし人間ってやつが一瞬にして天国から地獄まで転がり落ちることもあるかもなってことも時々考えはするし、そうした罠がこの世の中にまったくないとも言い切れない。見極めよ、冷静に。
しかし今唐突にある事実に気づいて驚きを受けたけどそれよか、眠くなってきた。夢の中で時々見ているような街が眼前に立ち現われそうに……眠い。もう夢の中の鬼ごっこはじまってる。
やっぱりわたしはあの街にいた夢の中で。終電が過ぎてからのあの街に自転車で。うろうろと。街は暗かった。ひと気も少なかった。あんまりヒトが出てこない夢だった。とも思うけど光の当て方を変えてみたらそうでもなかったかもしれない。終電過ぎでも開いてる店はチラホラあった。そこには確かにヒトがいたし、わたしもたぶん多少は話をしたはずだ。
目が覚めて、朝、午前6時、仕事の続きにとりかかろうかなあとも思いながら、寒いし布団から出たくないわって感じるのでひとまずは寝る前に気づいたある事実について反芻してみるる。この事実はわたしを幸福にしてくれるのかしら? そんな問いをとりあえずは立ててみるのだけどあんまり意味ないかもしんない。事態はすでに不可逆的なところにまで進行しているし、今のところはそんなに悪いことになってないような……、いや、どうだろう自信がなくなってきたけど、でもこの気づきは今後随分とわたしの心をひらけたものにしてくれるんじゃないかって思ってもいる。
さてオブラートにくるんだ話にも飽きたのでiPhoneでメールボックスをひらいてみるととあるひとからのメールで、部屋を解約した、って書いてあってオオオと思った。カタカナにしてみた。オオオ。何か動物の鳴き声のようだ。オオオ。ってことはともかくとして、横浜に引っ越してくるのもアリかもですよとはメールしてみようかなと思ってる、あとで。横浜橋のあたりとか住みやすいんじゃないかなとか思うし。でもちょっと都内へは遠いから、東横線のほうがやっぱり便利かしらとかとか。それも今後の生き方の問題だなあ。彼女にとって大事な家族のようなひとたちの元に行きやすいのはどこだろう、とかとか、ずいぶんとお節介なことを考える。わたしが考えることじゃないなって思いつつ、もしも彼女が横浜に引っ越してきたとしたらなかなかいいお友達になれるんじゃないかしらって思うのだった。東京にいる時はなんだかんだであんまりゆっくり話もできなかったしなあー。そういえばこないだとあるアーティストがちからさんがいるから心理的に横浜に行きやすいですよとか言ってて、これは多分にリップサービスを含んだものだから鵜呑みにはできないようとかも思いながらなんだかんだ楽しく朝まで伊勢佐木や黄金町界隈で話し込んでしまったわけだけれども、まあわたしはみんなどんどん横浜に移住したら楽しいんじゃないのってかなり無責任に考えていて、無責任だけどそれなりに楽しい暮らしにはなるのじゃないかなとも予感するのだ。そういえば昔とある友達で今は一度は一国の首相ともなった某政治家の秘書をしている友達が、あ、今友達って言葉が二回出てきたけど今後はこういう書き方もアリにしようと思ってるけど、とにかくその友達がみんなでどっかの島に移住してそこで暮らさないか的なコミューン思想的な夢を若い時分にわりと本気で語っていて、えー、そんなの無理っしょとか思いながらもそれはそれで楽しいかもって思ったのだった。むしろなぜ、えー、そんなの無理っしょと思うのか。別に不可能なことではないはずだし、横浜は島ではないけれど、いろいろ地続きだけど、まあ海もあるし、山も谷もあるし、街もあるし、隠れ住むにもそれなりに華のある暮らしをするにも最適で、この陰と陽とある感じにわたしは魅力を感じているのかもしれない。こないだタクシーの運転手から聞いた話によると、わたしが住んでいる場所の向こうの山にある巨大墓場の周辺にはかつて火葬場関係の人々が住んでいたらしく、まあ今はわかりませんけどね、そういう人たちが住んでいたんですよ、あの下は部落でしたしね、まあ今はそんな時代じゃないですけどね、とか言っていたタクシーのおじさんは、そんなに歳とってるようにも見えなかったけど案外年寄りでこのあたりにずっと住んでいるのだろうか。これは差別に繋がる話だから要注意ではあるけれど部落的な場所にいくと歩いている人々の顔を見てアッ、血が濃い、とか思ってしまうことがあって、多分に偏見を含んでいるとしても、やっぱりそういう人は原宿とかではあまり見かけない。
もしも横浜にいろんなひとが移り住んできて、ここがモンマルトルみたいになったら刺激的だなと思うし、その可能性は大いにありうると思う。一時期、下北沢にもそうした可能性を感じていた、若い頃は。ただ全体に若すぎるのと、通り過ぎていく人がほとんどなのと、重鎮がいるのとで、やっぱりあの街はああいう状態で、あれが下北沢なのだと思う。今道路問題はどうなっているのか。iPhoneで書くのも手がちょっと疲れてきた。昔パチスロをしていた頃ほんとに腱鞘炎になりそうだったな。ある時期、とゆうか成人してパッタリ辞めてしまった。今でもたまに夢に見るけど現実にやってみようとは全然思わない。でもあの頃は確実に勝てたし貯金もずいぶんあって。まあそれはいいとして。もし横浜にいろんなひとたちが住み始めたら楽しいけど、やっぱりひとりはひとりだなってことも同時に思うのだった。結局ひとはそう簡単にはわかりあえないし、簡単な言葉をつかってしまうならば、孤独を抱えていきるほかないなって思う。それでも「悲しいハッピー」はきっとあるはずなのだ。こないだインタビューさせていただいた矢内原美邦さんが家族がいても孤独死はある、に近いようなことを言っててなるほどと思った話とか、あとFUKAIPRODUCE羽衣『サロメVSヨカナーン』のあの歌で、ひとりぼっちよりもマシだから愛してる、って歌詞がグサリとくる。
いわきにもいきたかった。この週末も。先週末も。京都にだっていきたかったのだ。でも今は、ここ。オールナイトで映画を見ませんかというお誘いも断ってしまった。いきたかったな。仕事も幾つかお断りした。なんとなくの勘だったけど時間を空けておいたのは正解だったとも思う。ただお断りしてハイサヨナラとかではなくて今後に繋がっていくものもありそうだし。とにかくいろんなことが変わっている。見えるもの聞こえるもの感じられるもの。匂い。触れるもの。変わっている。