BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

2012年11月21日、

 

*ブローティガンの拳銃(6)

 

sons wo:のカゲヤマ気象台くんとのトークが近づいてきました。11月21日(水)19時半から清澄白河のSNACです。1000円、プラス、ワンドリンク。華々しいイベント群真っ盛りのこの時期に、果たしてお客さんが来てくださるのか、とも思いつつ、すでに気持ちとしては少人数での話になるだろうと覚悟して、そのような場でしか語られないであろう言葉を模索しはじめています。

 

リチャード・ブローティガンの『不運な女』をベースにしますが、読んでこなくても大丈夫です。そして、文学的な四方山話、というふうにもならないと思います(それならば他にもっと優れた適任者がいるはずです)。きっとあまり役に立たない話になるだろうし、勇ましい言葉も特に語られないでしょう。とはいえ、世間というものが要請する「役に立つ」や「勇ましさ」に倦んでいる人にとっては、なにかしら心に残る夜になるのではないでしょうか。わたしもそう期待しているし、それなりの精神的な準備をして臨もうと思います。ただし、ほとんど「何も」持っていかないつもりです。

 

USTはしませんので、会場に来た人とだけの、半・親密な空間で何ごとかを語ってみようと思います。

 

テーマは、「語り得ないもの、過去や記憶について、世界について」だそうです。これはカゲヤマくんからの提案です。わたしはここに「死について」を加えたいと思います。

 

http://mourokusyarinjikujaya.tumblr.com/symposium

 

 

このブログでも、「ブローティガンの拳銃」と題して、何度か文章を書きつけてきました。あまりに私的すぎるだろうと判断してお蔵入りにしたものもあります。ナイーヴさとすれすれのところで、「語り得ないもの、過去や記憶について、世界について」そして「死について」、いかなる言葉がありうるのかを模索してみたい。もしかすると、ふたりとも黙ってしまうような時間もあるかもしれません。その沈黙は果たして「無」なのでしょうか?

 

ブローティガンの『不運な女』は、ある女について語ろうと試みるものの、失敗する小説です。この失敗はあらかじめ予見されており、にもかかわらず、ブローティガンの筆致の中には「してみせる」ような作為(ポーズ)は感じられません。語り手はフラフラとこの本の中を移動しており、様々な時制や場所を、その思考は越えていく。そしてたくさんの女たちと情事を交わしている。とはいえ、この「旅」について、ブローティガンは無邪気に肯定していないし、陶酔してもいない。それは、この語り手の「旅」を、娘を生贄に捧げてトロイに戦争をしかけた王、アガメムノンのそれになぞらえていることからも明らかだと思います。戦争に勝利して自分の国に凱旋したアガメムノンは、大切なものを失っており、そして彼に失望した妻の愛人によって暗殺される運命を辿ります。

 

『不運な女』の原稿は死後、数年経ってから発見されたそうです。この手記の中で綴られている1982年●月×日という日付のおよそ2年後、ブローティガンは拳銃で自殺しました。

 

 

 

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