BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

6/24

 

 

*窃視的日常世界

ネット/サイバー空間というのは、三次元とは異なる回路で人と情報を結びつけるわけですが、それもここまで来たのか、と思える象徴的な出来事があり、まあこんなこと書かなければいいのですが書いてしまうわけです。

 

ふらっと近所の喫茶店に文庫本も持たずに出かけた時のこと、手持ち無沙汰だったので気まぐれにiPhoneのツイッターでそのお店の名前で検索してみた。いや正直にいうならば目の前の席に座っている女の子二人組が写真を撮り合っていたので、あ、それ、もしかしてツイッターとかinstagramにアップしてるんじゃないの?、と思って暇つぶし感覚で覗いてみたら案の定ビンゴ。見つけた。やってしまった。開けてはいけない扉を開けてしまった。

 

目の前にいる、見知らぬ女の子たちの撮ったランチの写真が、リアルタイムでネットにアップされていて、それを黙ってiPhoneの画面で見ているという状況は、これも一種の窃視ということになるんでしょうか? 特にそこに変態的な興奮は(たぶん)覚えなかったけど、見えないものが見えているのは不思議な感覚で、人間はいよいよ第三の目を手に入れたのだなあ、と三つ目族の末裔かスタンド使いにでもなったような気分。

 

で、ついついというか暇だったので、その前のツイートも遡って見ていった。他人の日常を覗き見ていく行為には後ろめたいものを感じたけども、どんな人なのだろう、と興味を持ってしまったのだった。もちろん全世界に向けて公開されている言葉や写真なわけだから、見て悪いことは何もないのだが(今や誰もがそうしているわけだが)、この後ろめたさは一体なんなのか? 彼女たちは気づいてなくて、マジックミラーのこちら側から見ているという一方通行的な構造が気持ち悪かったのかも。とにかく変な気持ちだった。ヒッチコックヴェンダースの映画みたいな。

 

しかも驚いたことにどうも共通の知り合いが何人かいるらしい。まあ文化人けっこう住んでる町だからそれ自体はたいして珍しいことでもないかもだけど、ちょうど今オンタイムでわたしが一緒に仕事してる人たちの名前がそこにはあり、しかもかなり密接な関わりをしていることも判った。ある人や状況に密接に関わっていくと、その周辺の関係も色濃くコミットしてくる、なんてことがあるのだろうか? あると思います。とにかく、「あの写真、良かったですよ!」とひと声かけようかなとも考えた。でもできない。できるわけがないですよね。この窃視的状況をどうやって説明したらいいんでしょうか? 無理。変態じゃん。不審者じゃん。絶対気持ち悪いって思われる。(そういえばQの『地下鉄』にこんなシーンがありましたな……)

 

 

と、いうわけで彼女たちが帰るまで黙ってじっとツイッター眺めながら珈琲を飲むほかに何も出来ない自分に無力感をおぼえつつ思えば遠くに来たもんだとか思って無駄に遠い目をしたり泳がせたりしてみた。わたしもかつては健やかな子供で、公園で野球したり鬼ごっこしたりして普通に遊んでいたのだ。駄菓子屋にも行った。ビックリマンチョコを買って、シールだけ抜いてチョコを捨てたこともある。つまりはまっとうな人間になるはずだった。でも今はこの東京の片隅の喫茶店で珈琲飲むフリをしながらiPhoneで知らない女の子たちの日常を覗き見て悦に入っているのだった。一緒にいたもうひとりの子はモデルっぽい体型のスラリとした長髪の美人で、その人とのプライベートな写真が何枚かアップされていたこともいっそうわたしを後ろめたくさせた。

 

今度もし然るべき場所でお会いしたら、「そういえばこないだあの喫茶店にいませんでしたか?」ってそれとなくご挨拶すれば自然だし完璧だろう。物事の順序として正しいようにも思える。しかしもう正しい順序なんてものはないのかもしれないね……。

 

そしてついさっき気づいたのですが、なんとその人はわたしのことをフォローしている……! 気づかなくてごめんなさい。だからこれも見られている可能性があるわけですし、もしかしたら見られるかもなあ、と思って書いているわけです。たぶんどこかで、見てほしいとさえ思って書いている。その結果がどうこう、ということもないから、今度はこれは、覗き魔に加えて、露出狂ということになるのか……。最悪だ。気持ち悪いことしちゃってごめんなさい。でもあの写真、良いと思います。それは言いたかった。

 

 

しかし書いてみたらわりとこういうことって日常的に平然と行われていることかもしれないですね。