BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

3/30-4/2 大阪京都の旅

 

*奇遇ですね! 

春の嵐の中でこれを書いています。

 

今回の大阪京都の旅は、いろんな人たちのおかげでとても充実したものになった。めちゃめちゃありがとうございました。メインの目的は、子供鉅人『キッチン・ドライブ』とマームとジプシー『LEM-on/RE:mum-ON!!』を観ることと、アサダワタルさんにお会いして話を聴くこと。そして西尾孔志さん、古い付き合いのKくんとも話せたし、ココルームやポコペン(子供鉅人の基地)でもいろんな人と話せた。みんな気持ちのいい人たちだった。東京からやってきた友人たちも数多く、ここは横浜か? あるいは西荻か? と思うくらいのメンバーだったりもした。でも横浜でも西荻窪でも、こんなふうなメンバーで人が集まることはまずないだろう。

 

コリアンタウンでもある、大阪の鶴橋という町に出会えたのも大きかった(初めて行った)。新大久保のようなギラギラした町を想像していたのだが、もっと古くて情緒的で、市場や魚河岸のある落ち着いていてしかも活気のある町だった。キムチ、肉、そして魚の匂いに満ちていて、人間の根源的欲求を喚起される。ご飯もめちゃめちゃ美味い! 特に西尾孔志さんやその京都造形大の学生さんたちと行った韓国料理店でマッコリと共に食したカムジャタン(豚の背骨をジャガイモなどと一緒に煮込んだ辛口鍋)は絶品だった。

 

そして、総じて圧倒的に安いのだ。仕事で大阪に配属されてもう4年くらいになるKくんも、ここは人間の基本的欲求(食欲や性欲など)を満たす点ではかなり進化しているね、と言っていた。しかし果たしてそれは「進化」なのだろうか? 分からなくなってくる。

 

 

では東京はどれくらい「進化」した町だろうか? 諸事情あって、やむなく引越しをする可能性が出てきていて、ますます、どこに住むかを考え始めている。あちらの人たちが言うように、確かに大阪には東京ほど仕事はないのかもしれない。でもきっとやれることは俄然あるよなー、と今回の旅で手応え(?)を得た。演劇や映画に関してもそうだし、ココルームで会った人たちが話していたような、一種の文化人類学的なアプローチで様々な土地の記憶を掘ることもできそうだ。いちおうメディアの端くれにはいるので、そういったものたち(情報、人、モノ、町)を編集したいという欲望はいつも持っている。

 

例えば大阪にはアーケード商店街が多く、まずはごく簡単にネットで調べてみたところ、やはり1950年代あたりから急速にこの様式は広がったらしい。高知でも確かそうで、戦争や南海大地震によって受けたダメージの復興として、新しい町や祭り(よさこい祭り)が生まれた。ちなみに公道にかけられたアーケードで最初のものは、小倉の魚町銀天街商店街だという(ついこないだ行ったところだ!)。

 

 

日本人のライフスタイルは劇的な変化を遂げつつある。仕事の仕方。家族の形態。「シェア」は新しい生活のひとつの可能性ではあるけれども、単なるブームとして注目し消費されている部分だってあるだろう。その点についても今回はアサダワタルさんにがっつりお話を伺うことができた。武蔵野美術大学広報誌「mau leaf」次号に掲載する予定だけれども、文字数的に全部は載せられないかもしれないので、こぼれてしまった部分については、どこかでまたお伝えできたらと思っています。

 

変化とはどのようなものなのか? すごくざっくり言うならば、これまで日本は、というか「近代」というものは、「ある個人という存在が、どこかの組織や体系の中に所属することによって、社会的・公的な地位を得て活動できる」という様式だったわけだ。しかしこれからは、所属や所有といった考え方は、今までのように「先天的な前提」とはならないだろうな、というふうに、わたしは予感します。

 

 

とにかく引き続き、いろんな土地を旅して、そこにあるニュアンスをつかんでみたい。ひとまず、5月末くらいに「こりっち舞台芸術まつり」の審査のために札幌に行くことになっている。小倉にも大阪にも、年内にもう一度くらい行きたい。今度は別府にも行きたいな。去年お世話になった福島の友人のところにも、その後どうなっているのか、話を聴きに行けるだろうか……。あと、今年は高知に友人たちが何度か訪れるそうなので、できればあちらで会えたらいいなと思っている。それからもちろん海外には行きたい。

 

そういえば、マーム藤田くんの友人であるMさんと、ツイッター上だけのやりとりはあったけど初めてお会いしたのですが、同じ小学校の出身だという衝撃の事実を知った。そんなふうに、奇遇ですね!、みたいなことが、最近は増えてきた気がする。「縁」や「奇遇」に身を任せる人生というのは結構面白いのではないかとも思っている。それこそ「所属」と「所有」ばかり考えていたら、あんまりそういう「縁」や「奇遇」を呼び寄せられないだろうから。

 

ただ、そんなふうな浮浪の人生がどこに向かうのか、というと、それはまったく分からない。でも絶望はあるけれどもそんなに不安はない。せいぜい楽しむだけさ、という気持ち。そしてその享楽の先にきっと恩返しはありうるだろうと考えている。

 

写真は上から、京都の古い洋食屋、元立誠小学校、マームとジプシーの舞台写真、夜の先斗町、深夜の大貧民対決@ポコペン、朝の新世界とココルーム、そして鶴橋のコリアンタウン。

 

 

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