BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

3/22 世界の運行をアジャストする

 

*世界の運行をアジャストする

 

昨日ツイッターに「世界の運行をアジャストする、とかのほうにモチベーションを感じる」と書いて、@nomuramss くんに何それ?と突っ込まれたので、野村くん的には気楽なツッコミでしょうけどもいい機会なので少しだけ書いておきます。走り書きになりますが。

 

わたしには特に主張したい「正しさ=正義」はないのですが、基本的には、多様性こそが種を繁栄させる、と考えているところがどうもあって、例えば自分の好きなものが存在するためにも、全体の多様性と繁栄が大事だと思っているんですね。こうした、全体を考えてしまう自分の性質はあまり好きではないのですが(だって目の前のことだけ考えてまーす!、とかのほうがなんかカッコイイじゃん今のご時世は)、性質というか、そうやって物事を考える訓練や体験を積んできたので仕方ない。

 

ではどのようにして多様なものの林立は可能か? 完全に放置した自然状態でそれが可能かというと、そうはならない。弱肉強食も運命さ、といえば聞こえはいいけれども、高度に発達した資本主義においては、勝者と敗者は必然的に切り分けられていくし、各種の暴力は発動する。基本的にはマイノリティは撲滅される傾向にある。そしてもはや、人間各個の意志ではどうしようもないくらいに、システムのほうが暴走して世界の運行は決定されていく。例えば原発問題ひとつとってもそうで、誰に責任があるのかよく分からないが、なんとなく経済界の意志がそうだから……みたいな「空気」によってその存続が肯定され、にもかかわらず具体的に多額の金銭が業者や学者に流れ、システムは補完的に存続していく。つまり放置していれば経済発展していった時代は終わり、もはや破滅と崩壊の予感しかしない。

 

例えば舞台芸術というジャンルで考えてみるならば、きっと、東京がナンバーワンな時期はあった。ファッションや音楽についてもそう言えるかもしれない。東京に出てきてセンスが洗練されていく中で、最先端のそれを生み出してきたという。しかしそれも経済が右肩上がりで、シミュラークル的に模倣され反復され漸進的な発展と消費が可能だった時代のこと。少しずつ「○○系」とかの顔を変えながら、新たな消費を掘り起こしていくのが高度資本主義の常套手段だったわけだけど、いよいよそれも頭打ちになってきたとわたしは考えています。

 

さて人類の長い歴史で考えてみれば、栄枯盛衰は必定だし、東京もいつかは衰退して別の都市に遷都されるだろう。というか、日本という国家自体がいつまで存続しているかも分からない。人間個人は無力だし、わたしがどうあがいたところで大きな趨勢は変わらないかも。

 

……と、思ってはいるけれども、生きている以上あがきたいというか、何かこれ、おかしくない?とか、うまくいってないな、みたいなのは、感じることがあるんですね。例えば東京がもう煮詰まってんのに、なかなかみんな東京から出ていくことができないとして、じゃあ東京を再生するのか、別の場所に移るのか、いろいろ選択肢はあると思うけれども、まあ大抵は身動きがとれないし、結局は何も手を打たず、粛々と時間だけが進行していく。そして滅びは近づいてくる。

 

でも、都市生活に慣れてしまうと忘れがちだけど、世の中は実は豊かで、もっと面白いものがたくさんあるはず。いちおうメディアに関わる人間の端くれである以上、その、情報の配置(アテンション・エコノミー)を操作したいとは思う。それがわたしの仕事です。

 

例えばある地点(場所、人、モノ等)に線を引くこと。何かと何かを繋げること。それによって、今見えている視界とは別のものがひろがるかもしれない。別のことが起きるかもしれない。それが「世界の運行をアジャストする」ということです。

 

 

多様性、と言っても実際難しいのだ。人は、未知のものを恐怖してしまうから。情報も多すぎるから。目の前に未知のものがあっても、それに触れることは難しい。わたし自身も相当偏りがあって、例えば今これを書いているカフェで鳴っている音楽について、それが誰の演奏による何という曲か知らないけど、特に興味を駆り立てられない(めちゃ凄い音楽だったら別だけど)。要するに、人間の興味を刺激するようなフックをつくっていかないと、未知のものと人間とは結びつかない。何年か活動してきて、そういうことも幾らか分かってきました。

 

ある意味ではわたしは、演劇を通して、自分自身の世界を拡張していってるとも言えます。例えば北九州(小倉、枝光)という町とは、演劇を通さなければ、生きてるうちに出会えなかったかもしれない。しかし少なくともわたしの頭の中では、今や北九州に向けて1本の(あるいは複数の)強烈な線が引かれている。そういう場所との出会いは、人生においてそう何度も無いかもしれないけれども、少しずつ増やしていきたい。これは単に、旅をすればいい、というわけではないと思う。こないだとある人が「戦場カメラマンみたいですね」と評してくれたけれども、演劇の従軍記者のようなつもりでいろんな場所に行って、その角度から掘れるものはあるかもしれない。

 

演劇にかぎらず様々な分野においてすでに実践している人たちはいるので、彼や彼女たちと、どこでどんなことができるか、具体的に考えていきたい。わたしは基本的に自由でありたいので、身重なことはやりたくないんですけど。とにかくフットワークが軽くなるような方向で。

 

(余談だけど、そこで例えば「ノマド(遊牧民)」という現状ではある程度有効と思える言葉があるわけだが、不幸なことに結構この言葉自体が批判もされていたりするようだから言うと、今の東京のモードに毒されていると、こうした言葉すらまともに使えないらしいのは残念というかもはや可哀想ですらあると思う。何もかもをネタにして「(笑)」を付けなければ何かを語れないくらいに閉塞し疲弊してしまった土壌に、これ以上しがみつく何かがあるとはわたしには思えない。ある言葉を揶揄するのは簡単だけれども、その内実として結びついているものも同時に考えていかないと、ただ「アート」やら何やらといった言葉に振り回され、支配されるだけの奴隷になる……。意味不明な自主規制的言葉狩りは辞めたほうがよろしかろうと思います。とにかく自由になる方向で考えたい。)

 

フットワークを軽くしたいというのは、とにかく現地に行ってみないと分からない「ニュアンス」があるからで、今はネットで無料で無限に情報が手に入る時代だからこそ、むしろ「ニュアンス」が大切になってくる。そして一旦「ニュアンス」を手に入れると、ネットで収集する情報も立体的に見えてくる。ただの文字や絵や映像の連なりでしかなかったものが、生き生きとした情報として享受できるようになる。「ニュアンス」はおそらくこれからの時代にあって、重要かつ貴重なものとして扱われることになるだろう。

 

つまり取材をし、それを編集し、伝達する人間に必要なのも、その「ニュアンス」をどう扱うかという手つきである、とわたしは今考えていて。これは作家でも編集者でも記者でも変わらないのじゃないかな(ここはまだ厳密には考えていないので、仮定です)。

 

ある具体的な土地に生きるモノやその地脈を見つけ(「発見する」という態度が傲慢であれば、「出会う」ということ)、そこに線を引いていくという作業は、意外にあまり為されていないと思う。なぜならそこには「業界」や「ジャンル」が存在するわけではないし、したがって金銭的な見返りもほとんど期待できない、といった事情もあったのだと思う。まあ昔は冒険家や文化人類学者がいて、そうした役割を担っていた。ある種のライターやジャーナリストや研究者もそうだった。でもそれも難しくなった。デジタル化とネット社会化のプロセスの中で、そうした技術や精神がなぜか衰退してしまったのか。でもそれも飽和した。と感じている人たちがいることも分かってきたし、やっとこれから面白くなるのではないか、という期待がわたしにはある。そしてこうなって初めて、インターネットはその本領(情報収集、ネットワーキング、投壜通信、その他)を発揮するのではないかとも思う。

 

とにかくしかし、ひとりでは全くの非力だし、同じようなことをやっている仲間、あるいは、違うことをしている仲間も必要になってくると最近ひしひしと感じる。もう随分、知り合いが増えてしまって、それはそれでいいことだけど、倦んでいる部分もあって、それでも、やっぱりどこかの土地を訪ねて、そこにいる人たちに出会えて話ができるのは嬉しくて、翻って考えてみると、東京にいる人たちだっていろんな土地から来ていたり、行っていたり、するわけで、たくさんの「ニュアンス」を持っていると思うのだ。それを交わし合うような会話をしないともはや意味を感じられなくて、表層的な儀礼的な議論や、何かを論じたつもりになっている言葉の模倣や、シミュラークル、みたいなものに、もうわたしは全然関心がないのです。

 

もっと言うならば、世の中は、全然キレイではないと思う。かなり汚い部分、暗い部分もある。そうしたものと距離を取りたいと思ってきたけれども(不幸を語ると不幸に呑み込まれる)、それはかつてわたしが、そうした部分に呑み込まれて、だからもう二度と呑み込まれまいと思って恐怖してきたからで、でも今はもうあの時よりはそれなりに強くなったし、そう簡単には呑まれないだろう(油断は禁物だが)、と思うので、やっぱり世の中に暗い部分のあることは無視しないようにして生きていきたい。というかそういう部分に惹かれている。

 

そう思うと、これまでの「アート系町興し」、みたいなものへもひとこと言っておきたいのだが、「公共」の名のもとに、毒にも薬にもならないようなものを「アート」と称して垂れ流してきた部分は結構あったのではないだろうか。そんなものは犬も喰わないとわたしは思うのだが。何かを創作する、ということは、根本的には世界への畏れのようなものを含むと思う。そうした畏れを持たないものを、わたしは芸術だとは思わない。そこに何かしらの対価を払う価値を見出せない。わたし自身、そうした畏れを感受できる人でありたいし、例えばまだ幼い子供たちの「教育されていない部分」を見ていると、もともと人間には畏れを感受する力があると思っている。それをひらかなくて、何がアートか。何に媚びようというのか。

 

だから「東京で演劇をやっている」人たちも、地方の人たちも、そうした畏れのないものをやって、それで評価され成功できると思っていたら大間違いで、でもそれで成功したかのように見える幻想があるから、それを模倣してしまうかもしれないけど、そう簡単に成功とかできないんで、そんな甘い見込みだったらさっさと辞めてしまったほうがよいと思う。これは警告というよりは忠告だけれども、別に警告と捉えてもらっても構わない。わたしはそうしたことに時間をとられたくはないし、税金も使われてほしくないし、(多様性によって種を繁栄させたいとは思うけれども)冷蔵庫の中の腐ったリンゴは早めに除去したいと考える。まあ、畏れのないものがそれっぽいことをして芸術の顔をしているのが、本当にイヤだなと思います。

 

別に、暗いものがいい、とかでは全然なくて、その意味では、こないだUSTで見た「ほうほう堂@小金井のあちこちの窓」は一部しか見られなかったけども、すごく良い風通しを感じた。特にラストの、小学校の校庭から屋上に至るシークエンスは、世界への祝福に満ちていたが、祝福とは、つまり、畏怖の裏返しでもあるのだ。

 

非常に錯綜した文章になった。幾つかのテーマを含んでいるからだろうし、分解していけばもう少し整理できると思うけれども、そろそろ仕事に戻るので、このままアップします。

 

 

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