BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

芸創CONNECT vol.5速報メモ

 

 

*2/22 芸創CONNECT vol.5速報メモ

 

東京方面から観に行った人は少なかったと思うので、大阪の芸創CONNECT vol.5の結果速報とファーストインプレッションについて記しておきます。ちょっと今仕事が立て込んでいるせいで、きちんと推敲した形で書くのは不可能なので、表現はやや雑ですが、後で参照するための速報的なメモとして書いておきます。

 

 

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芸創コネクトは15分の作品を5団体がつくって臨むショーケース。審査員4名(谷口純弘、東野祥子、松本雄吉、やなぎみわ。※服部滋樹は都合により欠席)により審議された結果、どうあっても絞りきれずということで、鳥公園『すがれる』、村川拓也『無人島→対話』、MuDA『MODAE』の3作品が優秀賞を受賞。3団体は来年度の芸創セレクションでフルスケールの作品を上演することになった。

 

客席で観ていた実感としては、鳥公園と村川拓也の一騎打ちだと感じた。やはり昨年のF/T公募プログラムで揉まれているだけの格の違い感はあった。MuDAは確かに応援団的な人たちも来ていたし、アットホームな雰囲気でウケもよく、かつ愛されるキャラクターであるとは思うけれども、音に合わせて身体を動かしている、ということ以上の面白い仕掛けを見出せなかった。「倒れても倒れても立ち上がる」という直球のメッセージで幾らか補填はしているけれども、もうひとつ何かが欲しい。例えば東京デスロックの『再/生』が持っている(何度も繰り返すという)凄みとかと比べてしまうと、15分という短さも不利だったかもだけど、特にわたしには強く響いて来るものではなかった。

また、上本竜平/AAPA『プレゼント』はナルシシズムの領域を出ないように感じた。カッコイイ、ということはそう簡単ではない。少なくとも一度、自分(たち)がカッコ悪いかもしれない、と思い知る回路を経たものでないと獲得できない表現の強度はあると思う。

シュガーライス・センター『小さな光』は、信号を模した緑黄赤の衣裳、白塗り、フンドシ、などいろいろやっていたが、いずれも思いつきのレベルでしかないと感じた。15分が無駄に過ぎていった感じで残念。

 

で、村川拓也『無人島』あらため『対話』は、審査員の松本雄吉が指摘していたように、直前のタイトル変更からして効果的だった。村川は『ツァイトゲーバー』でもそうだったけど、フィクションの立ち上げ方が抜群にうまい。お客さんを引き込み、ある意味、詐術にかけてしまうだけの魅力がある。一歩間違えれば「あざとい」んだけど、不思議といやらしさをあまり感じさせないあたりが村川拓也の真骨頂なのかもしれない。『ツァイトゲーバー』で介護の青年役をしていた俳優が今回も出ていて、朴訥とした、だがどこか調子外れの語り口が絶妙に効いていた。あと、手話。下手側前面に手話通訳を立たせることにより、男女のやりとりがそこだけで完結しない複層的なものに見えてくる(それもある種の詐術ではあるのだが)。

内容はもろに、津波、仮設住宅……といった「震災」を扱っていた。村川拓也は実際別の仕事として被災地に行って映像を撮っているらしい。それがどんな映像なのかは知らないけども、この『対話』の舞台は虚実入り混じった感じがあり、つまり事実と、それを演じてみせているものがいて、まるでキアロスタミの映画(セミ・ドキュメンタリー)のようだった。と思いきや、怪談のような語り口になったりもする、そのとらえどころのなさが魅力でもある。男女の会話の噛み合わなさ、ちぐはぐさが、不穏な空気を生み出して、観ているこちらの心をとらえた。

村川は、「当事者」の言葉をどうやって舞台に持ってくるかを模索していたのかもしれない。つまり、ある地点(現場)で手に入れた言葉やリアリティを、別の地点(舞台)でどのように再現しうるのか/できないのか。それを極めてコンセプチュアルに(謎は謎のままにしつつ)提示してくるのだから、相当な実力の持ち主である。ただ審査員のやなぎみわが指摘していたように、何をテーマに持って来ても、この人は良くも悪くも揺るぎないのではないか、と感じさせてしまうところもある。とにかくこの人は、今後の舞台芸術界のキーマンの一人だと思う。また東京でも観たいし、関西他で上演されるものもできるだけ観たい。

 

一方の鳥公園『すがれる』は、むしろ揺れまくりだったと言える。しかし今作のそれは、あえて選択された揺らぎや不定形さであると感じられるような(だが作為は消えたような)、不思議な触感があった。この作品がここで終わるわけではなく、3月に北九州で、5月に東京で、といった再上演・創作プロセスが予定されていることが、功を奏したのかもしれない。15分、という枠の中に、もっと長大な時間を感じさせるものがあった。

物語は、ひとりの人物が老いて、だんだん性別も年齢も不詳になり(おじいちゃんと呼ばれているが、演じているのは20歳代の女性である)、彼/彼女は自分を見失い(呆け)、主語も不明瞭になって溶けていく。しかし彼/彼女はどこにもいないが、確かに存在している、という矛盾が舞台の上で具現化されていて、感動した。

この老人(?)を演じた若林里枝にも不思議な魅力があった。手塚夏子との作業など、彼女がこれまで培ってきたものの片鱗も感じさせた。彼女自身のさらなるパフォーマンスの向上と(まだまだポテンシャル全開ではないと思う)、相方である森すみれとのセッション感がより増せば、この『すがれる』はもっと凄い作品になるだろう。若林は今回が初めての鳥公園への参加だけれども、相性は抜群に良いのではないかと感じた。

終演直後は審査員の谷口純弘から厳しいツッコミもあったものの(一部わたしも同感するところはあった)、選評では、演劇的な空間の使い方(松本雄吉)、細部の質感へのこだわり(東野祥子)、そしてテーマを内的に抱えている感じ(やなぎみわ)が評価を得た。かなりのアウェイな状況ながら、少なからぬ観客の心をつかまえた感触があり、今後この『すがれる』が北九州や東京で、あるいはもしかしたら別の土地で、どのようなインパクトを与えていくのか楽しみ。

何しろほぼ素舞台の、身軽な作品である。この2人の女優と、ほんのちょっとの小道具だけでどこにでもいけるのだ。日本のみならず世界各地でぜひ上演してほしい。新生・鳥公園にとってこれはfundamentalな作品になったのではないかとも感じる。軽やかさと重心のようなものとがあり、同世代の感覚に限定されないスケールも感じられた。チェルフィッチュへのオマージュ(批判的継承)はあるのかなと思うけれども、決してエピゴーネンではない、オリジナリティを感じた。これはきっと、彼女たちにしかできないことだ。独特のグルーヴ感が爽やかだった。

 

優秀賞は3団体。もしもこの中からどうしても1つだけを選ばなければならないとしたら?、という結果も見てみたくはあった。けれどもこの結果はこれはこれで有意義なチャレンジを生むと思う。素晴らしい作品を観ることができて満足しています。おかげさまで、夜は大阪で美味い酒を飲みました。