BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

マニラ滞在記4-4


マニラ滞在26日目、金曜日。わたしが劇場(Papet Museo)の窓際でメールしていた時、サラがやってきた。「私はこの窓から見える景色が好き」と彼女は言う。わたしはメールのためにナーバスになっていたが、確かに、この窓からの眺めは美しい。


The Scenius Pro.の『Hear, Here!』。手話やジェスチャーでコミュニケーションするワークショップ形式のパフォーマンス。コミュニケーションの前提が崩れることで、日常とは異なる身体感覚が引き出される。JamesやBunnyのファシリテートは参加者の緊張をほぐし、あの場を多幸感で溢れさせた。彼らのパフォーマンスはナーバスになっていたわたしの心を温めた。



Christopher Aronson、Guelan Luarca、Ness Roque-Lumbresの『Mausetrap: Anti-Hamlet』。ハムレットをモチーフにした作品。タガログ語のパートが多く、さらにスペイン語もあり、わたしは内容を完全には理解できなかった。しかしわたしは複数の問題意識の存在をこのパフォーマンスの中に感じた。例えば、形骸化した劇場への批判。英語という言語の問題。そして彼ら自身の交換可能性。

タガログ語をもっと理解したい。

 CNNフィリピンの記事
 http://cnnphilippines.com/life/entertainment/2016/06/14/karnabal-festival.html


ISSA LOPEZのソロ・パフォーマンス『!』。インスタレーションと映像そしてパフォーマンスによって構成される。ISSAの母親は独裁政権下で政治犯として牢屋に入れられていた。すぐには信じられないことだが、彼女はISSAをそこで産んだ。

彼女のプライベートな歴史とフィリピンの歴史が重なる。わたしはその鮮やかさに対して少し羨ましく思った。



わたしは劇団くロひげ(Kurohige)のメンバーをフライングハウスに連れていった(彼女らは横浜から来た)。今夜も賑わっている。特にわたしはNessと一緒に話した。彼女はしっかりしているように見える。でも実はサラよりもさらに1歳若い。きっと将来的に、彼女は有能なドラマトゥルクになるだろう……。

今夜は、Rikiのフィリピン滞在の最後の夜だ。わたしもここに6ヶ月いたかのように錯覚した。人間はおそらく記憶を交換できる。強い好奇心があれば。
 
 
 
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マニラ滞在記4-5

 

マニラ滞在27日目、土曜日。Mapua Tekno Teatroの『Hanap Buhay』。私が少し遅れて到着した時には、すでに始まっていた。ワークショップのようだ。チープな素材を使って、塔のようなものをつくっている。JKはひとりで何か別のものをつくっている。なぜならJKは「インディペンデント・アーティスト」だから……。もうひとり、不審な人物がいた。彼はチームリーダーから怒られていた。そして彼は虚ろな目をして、別のチームに参加した。ところがそこでも彼はうまく場に馴染めなかったようだ。

 

そのうち、彼が高台の上に立った。彼は自殺しようとしている! 劇がここから始まる。仕事や人間関係に絶望した彼の告白。それを止めようとする人々。

 


Storyboard Junkiesの『Cafe Bayani』。フィリピンの死んだ英雄たちが天国(地獄?)で集まって会話をしている(タガログ語で)。おそらくフィリピーノたちにとって、この会話は現在と繋がっているのだろう。もし日本版を上演するなら誰がラインナップされるだろうか。終演後は、コーヒー付きのアフタートーク。

 


The Scenius Pro.の『Hear, here!』2回目。JamesとBunnyが「次はもっと言葉を使わないバージョンにする!」と言っていたので。今日は、耳の聞こえない人たちがたくさん参加していた。

 

歌がフロアに流れる。ダンサーが踊っている。途中で、音が消える。ダンサーは踊り続けている。字幕だけが無音で流れる。観客は、その聞こえない歌を聞く。

 

終演後に、くロひげのミサミサがなぜか号泣していた。

 


Maginhawa通りのマッサージ店へ。それから、JKたちと一緒にタクシーで遠くのTomato Kickへ。「Strange Pilglims」。去年もわたしはここに来て、韓国人チーム(Creative VaQi)と踊った。あれ以来、「Chikaraは呑むと踊る」というイメージが定着しているらしい。そしてこの夜はそのイメージをさらに増幅させることになった……。

 

Claudiaのショーも洗練されてパワーアップしていた。David Finiganのパフォーマンスの変化にわたしは驚かされた。まったくの別物だった。観客は部外者ではなかった。わたしも舞台上に引っ張り出された。わたしはすでにレッドホースを何本か呑んでいた。変な緊張を感じたが、楽しかった。

 

実は何日か前のDavidのパフォーマンスについて、JKは辛辣な評価をしていた。(わたしは感動したが、それはわたしがDavidと同じように外国人であるからかもしれない)。ナイーブに自己言及し過ぎる、というのがJKの評価の理由だった。しかし今回のDavidのパフォーマンスは、その批判を見事に乗り越えたのである。

 


くロひげの3人も即席でパフォーマンスをした。それは非常に彼女たちらしさを感じさせるものだった。きっとこうした経験がいつかどこかに繋がっていくだろう。そして日本も変わるだろう。

 

  


Alonの運転する車で帰った。わたしはかなり酔った状態だった。「覚えてる?」次の日、Alonはわたしにそう訊いた。わたしは答えられなかった。わたしは空席に向かって話しかけていたらしい。まるで誰かがそこにいるかのように。

 

 

 

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マニラ滞在記4-6

 

マニラ滞在28日目、日曜日。わたしは二日酔いだが、なんとか生きている。朝は、先日のカンファレンスの続き。JKハウスで、DavidとArcoが彼ら自身の活動についてそれぞれ語った。

 

Arcoのトークはまるでパフォーマンスだった。彼はしばらく沈黙していた。彼はEisaのドラマトゥルクだが、こうして異国に入っていく時、彼はあたかもダンサーのようになる。あるいはエイリアンのように。

 


劇場に向かう途中で、わたしは一匹の野犬に襲われた。この野犬は凄まじい勢いで駆け寄ってきたので、わたしは後ずさりしながら身構えて、闘いを覚悟した。しかし手の届く距離まで来た時、犬は急に吠えて逃げていった。何か見えない力に守られたような気がする。もしかしたら幽霊がわたしに取り憑いているのかもしれない。「私たちは見た、あなたがレストランで見知らぬ女性と一緒にいるのを」「あなたはタクシーの中で誰かと話していた」……そうした証言を考えると、「幽霊」という説明が腑に落ちる。Marikinaの教会に行った時に、わたしは彼女を連れてきてしまったのだろうか? その教会には、幽霊が出るという噂があった。

 


Tassos Stevensの『We’re Going to Tell You A Secret』。クイズ形式。彼がMaginhawa通りなどでリサーチしたことがクイズになる。パフォーマーやスタッフたちを巻き込んでいる。さらには、バランガイ・オフィサーを劇場に呼んだ。この短い滞在時間で、いつ彼はこんな準備をしたんだろう? 驚嘆に値する。そして、フィリピン人たちが、クイズに本気になることにも驚いた。

 

ただし、高速の英語を理解するのは難しかった。文脈を理解しているかどうかは重要な要素である。毎回、文脈(今何を話しているか)を最初から探さなければならないのはつらい。おそらくこの現象はわたしだけではなかったはず。長期の海外留学でもしていないかぎり、ほとんどの日本人が、文脈なしで英語を理解するのはかなり難しい。そのことは知っておいてほしい。

 

途中で、見たことのないような豪雨が降ってきた。音があまりに凄くてTassosの声をかき消したので、パフォーマンスはいったん中断した。Papet Museoの窓から、わたしたちは雨のマニラを眺めた。わたしは、わたしたちが今ここに生きていることを喜んだ。

 


わたしは疲労困憊だった。何も食べていなかったし、高速の英語はわたしの脳みそをすり減らした。それでわたしはAte Fe’sにご飯を食べに行った。よりによって、この日はなぜか、料理が出てくるのが遅かった。それで遅刻してしまった。Ea TorradoとNikki Kennedyの『How Can I Miss You』。わたしは終盤のシーンだけを観た。ごめんなさい。が、この2人のコラボレーションが1年越しで実現したことをわたしは嬉しく思う。

 


フィナーレは、JKのファシリテートによって、本をつくった。インディペンデント・アーティストが生きていくために必要なものをみんなで書き出し、それを巨大な「本」として綴じたのである。

 

それから、その場にいた全員で、ひとつひとつのパフォーマンスを振り返っていった。このファシリテートはPiperが務めた。彼女は去年KARNABALに来ていたMaxの弟子筋にあたるらしい。オーストラリア在住で、出自はベトナム。とても快活な女性だが、冷静にものごとを見ているようでもある。

 

最後は、JKがみんなに風呂敷を配った。それをバッグの形に結うと、彼はこう言った。「さあみなさん、家に帰りましょう」

 


フライングハウスは夜遅くまで開いていた。

 

 

 

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マニラ滞在記4-7

 

マニラ滞在29日目、月曜日。ゆっくり起きて、Matalino通りにマッサージに行った。かなり強めにやられた(腰に立たれた)。この結果、わたしはしばらくダメージを受けることになったが、それは後日の話。

 

郵便局から、城崎の三人姉妹にエアメールを送る。18ペソくらい。郵便局には机のようなものがなく、炎天下で座って手紙を書いた。背後には常に気をつける必要があるので、走り書きで。

 

昼寝をした後、わたしはインタビューを受けることになっていた。予定時刻の1時間を過ぎて、Kei君(通訳)とJK(通訳)がやってきた。Brandon(カメラマン)が到着したのはさらに1時間後だった。まあもはやこのフィリピン時間にわたしも慣れている。むしろこの時間がもうすぐ終わることが寂しい。インタビューの中で、わたしはMarikinaでのENGEKI QUESTを振り返った。なぜわたしがここに来たのかも。

 

ジプニー先生のRalphも、ENGEKI QUESTにおいて何が起きたのか、コラボレーターとして証言してくれた。

 


夜はJKの家でパーティ。「どうしてRikiがここにいないの?」とClaudiaが嘆く。みんなで映画(TVドラマシリーズのファンタジー)を観て、ダラダラ過ごす。JKやBrandonが、さらに食べに行こう!と誘ってくれたが、疲れがあまりにひどいので、泣く泣く断って眠った。最後の夜だけど。無事に帰るまでは、気は抜けない。

 

 

 

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マニラ滞在記4-8

 

マニラ滞在30日目、火曜日。最後の日である。Natsukiと一緒にタクシーで空港に向かう。JKたちが見送ってくれる。名残惜しい。わたしはすでに彼らを家族のように感じている。いつわたしはここに戻ってくるのだろうか? 途中で、電柱でポールダンスをしているおじさんを見た。わたしはマニラを愛することができる。

 

タクシーの中で、「これからどう生きていくか?」についてNatsukiと話す。わたしはどうしよう? とりあえず、まずはダバオに行ってみたい。ドゥテルテ大統領の都市へ。ミンダナオ島へ。わたしはまだフィリピンのごく一部しか知らない。それはアジアのごく一部。世界のごく一部。

 


飛行機で隣の席に座った男は、イスラム系に見えた。何ヶ月か前に、ある女性が「隣の男がISにメールしていた」と証言して飛行機を止めた事件を思い出した。あの事件は結局、白だったのか、黒だったのか? わたしは確かに隣の男に恐怖していた。もしも彼がテロリストだったとしたら……? 

 

わたしはたぶん、それなりにリベラルな思想の持ち主である。それでも、こうして、他者を恐怖する。イスラムという他者を。偏見と憎悪が世界に蔓延している。この後でわたしが行くヨーロッパでは、それはもう避けては通れない問題になっている。今日もどこかでテロが起きている。人々が殺されている。わたしはいつ死ぬのだろうか。殺されないで、天寿をまっとうすることはできるのだろうか。最善を尽くそう。だが、わからない。わからないことだらけだ。ひどい時代になった。ひどい世界になった。今はもう第三次世界大戦と呼ぶこともできるだろう。「銃後」のない戦争。国と国との闘いではなく、いつでもどこでもテロが起きる戦争。そんな戦争の中を、飛行機は飛んでいく。とりあえずの休息の地である日本に向かって。日本が安全だから一番だと多くの日本人は言う。しかし日本もいつまでも安全地帯ではいられないだろう。隣の男はわたしに、「ペンを貸してくれませんか?」と頼んできた。彼は、彼の職業や国籍について、紙に書いていた。わたしのペンを使って。わたしはその文字を読み取ることができなかった。

 

その時、初めて、わたしは彼の顔を見た。

 

 

 

 

 

 

▼同じ日の石神夏希さんの日記

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