BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

デュッセルドルフ滞在記2-20

 

Dienstag. Ich habe mir eine Grippe eingefangen. Wenig Ärger. Jedoch gibt es kein Problem. Fußball im Stadion. Düsseldorf vs Bochum 3-0. Tolle.

 

火曜日。風邪を引いた。少しトラブル。でも、問題ない。スタジアムでサッカー観戦。デュッセルドルフ vs ボーフム 3-0。アメイジング

 

Tuesday. I caught a cold. little trouble. However, there is no problem. Football in the stadium. Dusseldorf vs Bochum 3-0. Amazing.

 

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デュッセルドルフ滞在記2-18

 

Sonntag. Von Hamburg nach Düsseldorf, Bewegung von acht Stunden. In der Nacht, betrunken zusammen mit guten Freunden. Geschichte von Tattoo war beeindruckend.

 

日曜日。ハンブルクからデュッセルドルフまで、8時間の移動。夜は悪友たちと呑む。入れ墨の話が印象的。

 

Sunday. From Hamburg to Düsseldorf, movement of 8 hours. In the night, drunk together with good friends. Story of tattoo was impressive.

 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-17(ハンブルク番外編3)

 

ハンブルク滞在3日目、土曜日。この日は10時間近く、ひたすら英語のプレゼンを聞き続けるというハードな日……。前のめりになる話もあれば、全然耳に入ってこないものもあり。もちろんわたしの英語力の問題もあるけれど。

 

非常に興味深かったのはアンマン(ヨルダン)のReham Sharbajiのプレゼン。通訳でもある彼女は、自分の映像作品をここのギャラリーで展示しているにもかかわらず、その話は一切せず、アンマンのアートシーンについて語ってくれたのだった。彼女の語るヨルダンの姿はわたしがイメージしていたそれとは全然違うもので、ものすごく新鮮だった。ぜひ後で話したい、と申し込んで、ディナーの時間にゆっくり話した。「これは失礼かもしれないけれど……」と前置きした上で、治安についても質問する。アンマンは安全だと思うけど、プライバシーはないかもしれない、でも私は「政治的」じゃないから大丈夫、と彼女は言う(イデオロギー的ではないという意味で)。ISやシリア内戦の影響については、国境で軍隊がせき止めているそうだが、その情報はメディアではほとんど入ってこないという。また、彼女の関心が都市にあるらしいことも興味深い。コミュニティというより、可変的な都市に関心があるのだと彼女は言う。レハムとはいずれ何らかの形で一緒に仕事をしてみたい。そのためには一度ヨルダンに行ってみないとな……。

 

ヘルシンキから来ているアリーナたちのスペースも面白そうだった。こういうのって恥ずかしいかもな、と恐れつつ、アキ・カウリスマキの映画が実は好きで……と話すと、セッポが「カウリスマキは友だちだし、普通にいるよ」と言う。もちろん本当かどうかは今はわからないけど、映画好きとしては興奮を禁じ得ない。白夜の映画祭、というのが夏にあるともアリーナは教えてくれた。白夜か〜

 


プレゼン大会では、難民についてのプロジェクトの話をいくつか聴けたのも良かった。特にFilomeno Fuscoのは印象的で、なぜかというと、ともすればシリアスになりがちな問題を扱っているにもかかわらず、そこに関わる人々が幸せそうだったからである。レストランで難民たちと一緒に料理をつくる、というシンプルなものだったが、実際この夜にその人たちも来ており、我々のためにカレーを振る舞ってくれたのだった。おそらくFilomenoにとって、難民たちは彼の作品の対象物ではなく、あくまでも良き友人なのである。

 

 

様々な考え方があるし、あっていいとも思うけれど、わたし自身の創作の倫理としては、やっぱり作品のために他人を「対象物」としてしまうことには抵抗があって、だからその意味ではただ「友だち」になりたい。もちろん友だちになれる人となれない人はいるし、そのために「作品」になりえないこともありうる。当然、かなり偶然性に左右されることにもなる。それでも、わたしにとってはその偶然性(あるいはその集積としての運命)と付き合っていくことのほうが面白い。ここ(ハンブルク)に来る前は、そういうのって作家としては甘い考えかもな……と頭の片隅では思っていた。もっと残酷にコンセプチュアルに「作品」をつくるということが、アーティストとしては必要なんじゃないかと。でも今となっては、究極的にはただ旅をして、各地でいろんな人と友だちになる、ということそれ自体がわたしの作家性であるようにも感じている。もちろん「作品」もいちおう(いや、いちおう、ってこともないけど)つくるけど、それよりもそのプロセスというか、誰とどう何を交わし合って生きていくか、ということのほうがわたしにとっては大事で、しかもそれはお互いに人間である以上、いつもうまくいくとはかぎらない。どんなに倫理的でありたいと願っても、人間が不完全な個体である以上、失敗ということはその活動の総体の中にどうしたって含まれるのである。……こうしたこの考え方(生き方)は、きっと世界的に通用する、と今は思う。少なくとも手を結べる人たちは世界のあちこちにいる。とはいえ「そんなのは作品じゃない」的な考え方が未だに根深くあることも理解できるし、わたし自身、なし崩しに「なんでもアリ状態」になることはまったく望んでいない。だからこそ旧来の美学的クライテリアとは異なる言説が必要になるわけで、そこでは批評家としての能力が役に立ってもくれるだろう。

 

ちなみにそれは「演劇」の枠を越えていくという話とも繋がる。「こんなのは演劇じゃない」的な話はどこの国にもあって、おそらくこの10年くらい、世界同時多発的に繰り返されてきたセリフなんだろう。しかし今や、そのセリフがもはや過去の異物であるという意識もまた、世界的に共有されている。演劇をはじめとして様々なジャンルで培われてきた芸術(すなわち技術/視点/知/哲学)とそれを抱えたアーティストたちはすでに都市に潜入(penetrate)しているし、芸術は(それぞれの)社会とはもちろん関わるけれど、別にただ社会のためにやっているわけじゃない、的なこともかなり共有されてきていると感じる。後はそれらの個別具体的な取り組みを、いかにネットワークし、またいかに言説化し、そしてのちの世代に繋いでいくことができるかという。おそらくそういうことが批評家としての自分のこれからのミッションになると思う。

 


あと実は来年のマニラ(KARNABAL)に向けて密かに温めているアイデアのために、あ、この人かも、と思える人に思い切ってオファーをしてみたのだが、「私、今からベルリンに帰らないといけないの」との答え……。うーん……。しかしこれでベルリンに行く理由ができた、とポジティブに考えることにする。さらにはこの日にベルリンから来たNobuhiko MurayamaさんやSako Kojimaさんからも遊びにおいでよと誘っていただいたので、これはもう行くしかない(デュッセルでの創作がひと段落すれば……)。ベルリンはアーティスト・ヘブンだよと多くの人が言う。それがいいことかどうかはわからないけどね、ともMurayamaさん。

 


夜はFRISEのミヒャエルが即席のDJとなって、みんなで深夜遅くまで踊りまくった。Yukiくんはアリーナやサンドラとセッションをしていて楽しそう。この数日間、ずっと給仕とか手伝ってくれていた中国出身の若い学生カーチンにも、せっかくだから踊りなよー、と勧める。ちょっと恥ずかしそうで踊り慣れない感じだけど、それでもだいぶ楽しんでいた(たぶん)。哲学の先生であるドクター・ヘイディもノリノリで、ああ、こういう姿を見るとまただいぶ印象が変わるよなあと思う。午前2時を回り、もう通りまくって満足したので、眠ることに。

 

ちなみにドクター・ヘイディには「批評家とアーティストを兼任することはできるの?」と質問されたので、以下のように答えた。批評家としてのわたしは、批評対象との距離を重要なものだと思っています。しかしそれはただ距離をとればいいというものではありません。わたしは作家の考え方や、その見ている世界を知りたいと思いますし、そのためには時には懐に入っていくことも必要だと思います。そしてその感覚は、アーティストとしてのわたしとも共通しています。わたしは都市の中に潜入します。けれどそこで距離がまったく消失するわけではないのです。……ドクター・ヘイディとは熱く握手をしたものだった。

 

短い滞在ではあったけれど、それでも少しはお互いのことを知れたし、できればこういう関係を続けていきたいと思う。スパイラルの大田佳栄さんのこの日のプレゼンテーションは、まさにそのことがテーマだった。「2020年の後にどうやって何を残すのか?」ということ。今回のポートジャーニーは、その具体的な足がかりになったはずである。

 

 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-16(ハンブルク番外編2)


ハンブルク滞在2日目、金曜日。夢の中で、わたしは魔性系の女性にたぶらかされているようだった。やたらとスキンシップしてくる。まあそういう人はいる。特にイヤではなかったので、わたしはそれを受け入れていた。するとあきこさんがやってきて、わたしの背中をつねり、「あの子はやめといたほうがいいと思うよ。ま、ちからさんの趣味なら仕方ないけど」と言う。まあでも悪い気はしないからな、と思っているところで目が醒めた。こういう夢はデュッセルドルフでは見なかった。というかやっぱりENGEKI QUESTの創作中はエロティックな気分をだいぶ抑圧というか封印しているのかもしれない。というかこんなところにあきこさんを引っ張り出してしまって申し訳ない(でも実際言われそうだなと思った)。

 


そんなことより二日酔いのほうが問題だった。とりあえず(ホース部分が割れていてそこからお湯が出る)シャワーを浴びて、コーヒー飲んで、なんとか立て直す。そして3チームに別れてハンブルク市内のツアーに出発。わたしはMicheal OlokodanaとTill Krauseが案内するチームになったのだが、これがわたしの関心にどんぴしゃだった……。

 

ナイジェリア出身のマイケルは、(就労ビザを持っていない)アフリカ人たちが食いつなぐための倉庫エリアに連れていってくれて、そこの食堂でアフリカ料理を御馳走してくれた(こういう費用も全部FRISE持ちという……)。食堂でベビーカーを引いていた男とたまたま話したが、キプロスから来ているとのこと。このあたりの料理はアジアとアフリカがミックスしていたりするんだよ、と教えてくれた。食堂のおばちゃんも気さくで、最後は投げキッス……。マイケルもこのあたりで働いていたらしい。本来は印刷工とのことだが、就労ビザがないためにその仕事はできないのだという。

 

またティルは、ハンブルクの中のいくつかのモニュメントを案内してくれたのだが、最も興味深かったのは、彼らがやっている「City as a Map of Ideas」というプロジェクトで、これはENGEKI QUESTにもかなり通じるものを感じる。この日はティルとその話はできなかったけど、いずれあらためてコンタクトをとってみたい。

 


二日酔いで数時間歩いたので疲労困憊。部屋で少し眠る。それから、昨日バスの中で書いた岩渕貞太『UNTITLED』の劇評を推敲する。部屋でwi-fiが通じないので、廊下から京都アトリエ劇研にメールを送信……。そんなわけで、みんなでクッキングするセッションには参加できなかった。料理ができあがった頃合いに降りていくと、「なに今頃きたの〜」とダンカンさんが笑う。あい、すみやせん……。とはいえ、世界各地から持ち寄られたレシピによる料理はとても美味しくて、またもや酒と会話が進むのであった……。まあでも疲れていたので、この日は早め(それでも23時くらい)に切り上げる。

 

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デュッセルドルフ滞在記2-15(ハンブルク番外編1)

 

15日目、木曜日。中央駅の近くにあるバスターミナルは、様々な人種でごった返している。クロアチアとかもここから行けるのか……。バス(キール行き)は、エッセンやブレーメンを通過して、予定より30分遅れくらい(6時間半)でハンブルク中央駅に到着。バスを降りた瞬間、「風が違う……!」と感じたのは気のせいかもしれない。とはいえ、海からは100キロ離れているものの、運河の多い港町であり、心が躍る。

 


さて最初のミッションは、ある夫婦から仰せつかったもので、鍵を探してほしいというもの。数年前に約束された「愛」がそこに書かれているらしい。が、実際それがあるという橋に行ってみると、あまりにも無数の鍵が……。き、聞いてないよ〜。とりあえず長旅の疲労をとらないといけない。港沿いにある売店で、生魚っぽい具の入ったビスマルクなんとかっていう名前のハンバーガーを発見したので、ビールと共に試してみる。う、美味い……! 何かの魚を酢漬けにしたものだった。売店の女たちには「謝謝」と言われて、いや、日本人だよ〜、と返す。こういう(中国人や韓国人と間違われる)やりとりは、外国ではよくある話だけど、デュッセルドルフではまず体験することがないので、むしろ新鮮。

 

で、気力を復活させたところで1時間以上「愛」探しにトライしてみたのだが、結局見つからず、時間切れに……。悔しいし、依頼主の力になりたかった……けど、真に深い愛は目に見えないものなんだな、と思えば、それはそれであきらめもつく。ぜひご夫婦には末永く幸せになっていただきたい、と念じて、その場をそっと立ち去る。

 

 


目的地のアートスペースFRISEは、ハンブルク中央駅から少し西に行った、アルトナと呼ばれるエリアにあった。とても穏やかで、治安も良さそう。到着するなり、いろんな人が気さくに話しかけてくれる。今回の目的はポートジャーニープロジェクトのアニュアルミーティングへの参加。たまたまドイツに滞在しているなら、ということでお声がけいただいたのだった。今回の受け入れ先であるFRISEの提唱する「HYPER CULTURAL PASSENGERS」とリンクする形で開催されるらしい。

 

あれ、日本人かな、と思う女性がいたので思わず「日本人ですか?」と訊いたら彼女はアメリカ人(チャイニーズ・アメリカン)で、逆に隣にいた白人風の人が「ぼくは日本語が喋れますよ」と話しかけてきたのだった。彼はダンカンさんという名前で、語学に長けており、このあと滞在中、とてもお世話になることに。

 

参加者はこの日ですでに30人くらいいたので、ひとことずつの自己紹介のあと、ごく簡単なアイスブレーキング。それからバーベキューをやって、ギャラリーで展示されている作品をみんなで鑑賞して、あとはそのままギャラリーの中で呑むという流れ……。ビールやワインが大盤振る舞いされる。ポートジャーニーの企画主宰者である象の鼻テラス(スパイラル)からは先行隊として橋爪亜衣子さんが来ており、三田村光土里さんや、ロンドンの学校を卒業したYuki Kobayashiくんなど、海外で活動する日本人アーティストも何人か来ている。上海から来ているEvelynの中国語名は、日本語にすると「菊桜」という花づくしの名前で、とりあえず「菊ちゃん」と呼ぶことにした。とにかくいろんな都市から人が来ている……。日本人以外とは英語でコミュニケーションをとるが、その英語も国によって(人によって)全然喋り方が違う。ドイツ語を耳にすることはほとんどなかった。

 


個人的に、ここまで2週間、ENGEKI QUESTのことを考えてきたので、こうして違う空気に触れるのはたぶん良いことだと思う。だいぶ酔いが回った頃合いで、誰かが犬を連れてきた。種の名前はわからないが、とても美しい大型犬だ。こうやって撫でてあげると悦ぶんだよ、と犬をさする男の手つきはなんだかエロティックで、彼女もまた、その愛撫を官能的に愉しんでいるようである。

 

 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-14

 

14日目、水曜日。昨夜の誓いに従って辞書を買いに、インマーマン通りへ。すると奇遇というのは続くもので、707のトラムを降りたところで、あの元・駐在妻の方(という呼び方もアレですが)にまたもや遭遇。「オフィスがすぐそこなんですよ」と誘っていただく。日本人とドイツ人が一緒に働いていて、オフィスの窓からはラインタワーが見える。

 

 
いったん昼寝をしに部屋に帰ったところで、ニッポン・パフォーマンス・ナイトのフライヤーが完成したとの知らせ……。FFTの事務所で、ユリアやマリーから実物を受け取る。おー、いい感じ! ENGEKI QUEST(演劇クエスト)のイメージ写真は、マニラで撮った武田力の後ろ姿になっている。ポスターにもでかでかと掲載。デュッセルドルフ中に張り出されるといいな……

 


明日からハンブルクなので、仕事に集中する。ENGEKI QUESTの原稿の一部を翻訳者(菅原ちゃん)に送るために、あきこさんやmiuさんとメールで調整をした。特に問題になったのは文章の濃度と、ナチスについての記述など(こちらは保留)。大事なコンセプトのすり合わせができたと思う。以下に少しだけ記す。

 

ENGEKI QUESTのテクストは、あの「冒険の書」だけで完結するものではなくて、参加車が実際にその場に行って読むことを想定してつくられている。つまりそこで参加者が見るであろう景色を借景しているわけで、それがあって初めて成立する。むしろできるだけ描写は削ぎ落として、その場に実際に行かないとイメージが立ち上がらないようにしたい。では、すでにその場所に行ったことのある人であればどうだろうか? もちろん部屋の中で「冒険の書」を読むだけでも、空想の旅は不可能ではない。でも実際にそこに立つことに比べればイメージの復元の精度は明らかに下がるし、なんといっても、歩いてそこに移動する(他者が存在する町の中に立つ)負荷のない状態ではあまり意味がないと(作者としては)考えている。だから「小説」よりは「戯曲」に近いと思うし、ENGEKI QUESTは、藤原ちからの書いた小説を読む(追体験する)とかではなくて、あくまでも参加者自身がそれぞれのイメージを立ち上げ、物語をつくっていくものにしたい。そのための最低限のインストラクションがあれば充分だと思っている。

 


ほんとは一杯ひっかけたかったけど、明日からのハンブルク滞在に備えて早めに部屋に帰ることにした。とはいえ、遠足の前の子どもみたいにワクワクして眠れない。

 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-13

 

13日目、火曜日。暑い日が続く。カフェの中も暑い。もう我慢できない。……というわけでUバーンに乗ってオーバーカッセルに。今回初めてライン川を渡った。

 

リーレンフェルトのアトリエにお邪魔して、Ko Kubotaさんの作品を見せていただいた。わたしは美術は素人だけど、彼の作品についてのお話はとても興味深いものだった。アトリエの外庭のテーブルで、パスタやソーセージやワインを御馳走になりつつ(何も差し入れ持っていかなくて申し訳ないです)まったり話す。明るい空に、月が浮かんでいる。それは、これから満ちていく気配を見せている。帰り道、Uバーンに乗りながら、不意に強い感傷的な気分に襲われた。自分はただの通りすがりの者にすぎないのに、19年間という時間のおすそ分けをいただいたような気がしたのだった。

 


夜は若き写真家と、近所でつらつらと呑む。彼もずっとこの町にいるとはかぎらないわけだが、いつかどこか別の都市でまたこうして呑めるといいな、という気持ちと、またデュッセルドルフの街角でこうして呑みたいな、という気持ちとが交錯している。そこは年配のマダムがひとりで切り盛りするサッカーバーで、ビールがとてつもなく安い。アルトシュタットの半値に近い。マダムは日本語に興味津々で、しきりとカタコトで話しかけてくれる。一方、わたしがここに来て覚えた言葉といえば、

 

「Schuldigen, Eins bitte! =すみません(ビールを)ひとつください!」


「Zahlen, bitte! =お会計お願いします!」

 

だけという体たらく。明日は辞書を買おう、と心に誓う。

 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-12

 

12日目、月曜日。10時間ほど爆睡。今日は一日オフにしよう。……と思いきや、劇場FFTとの打合せが夕方に入る。カトリンやマリアと久しぶりの再会。当初の進行予定より遅れてるので、やべえ怒られるかな……と内心ヒヤヒヤしつつ、カトリンの「では新しいスケジュールについて話し合いましょう」のひと声に救われる。がんばりまーす。クリストフの淹れてくれたコーヒーが美味しい。
 
 
少し日本語ができるインターンのマリーを紹介してもらう。デュッセル生まれのあなたにぜひ協力してほしい、とお願いすると、「私はノイス生まれです」との答え。なるほどそういうアイデンティティの持ち方があるのか。ノイス、1日乗車券の範囲外だけど、やっぱり行ってみないとなあ……。
 
 
夜は閉店で追い出されるまで、ペンペルフォルトでまったりと呑む。時間は有限であり、だからこそ切ないとはいえ、この町にいられるあと1ヶ月半という残り時間は、きっと無尽蔵のアルトビールを愛と友情に変えてくれるくらいの何かではあると思う。
 
 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-11

 

11日目、日曜日。デュッセルドルフのサッカーチーム・フォルトゥナ(ブンデスリーガ2部)の試合をひとりで観戦。赤いユニフォームを来た男たちについていけばスタジアムにたどりつく。ゴール裏はすでに超満員。4ユーロとちょっとお高いアルトビールを片手に、最上列に陣取る。この日の観客は25000人。相手はグロイター・フュルト。先制され、ジリジリした時間帯がつづく。Jリーグで某チームの試合をほぼ毎回スタジアムで観戦していた身としては、このジリジリ感は懐かしくもある……。後半残り10分くらいでやっと追いついた。逆転まで行ければよかったんだけど。

 

スタジアムの上空を何度も何度も飛行機が飛んでいく(空港が近いから)。フォルトゥナのサポーターたちは、いつもこういう風景を見ているんだな……。

 


立ちっぱなしの観戦の上に、さらにリサーチのために歩き回ったので、疲労困憊。アルトシュタットで妙薬・キレピッチュを呑んで回復を図る。夜は醸造シューマッハで大輔くんとのむーと呑む。大輔くんは同じく高知出身で、ボンの大学で哲学を学んでいる。お互い、思えば遠くに来たもんだ。海の向こうに何が見えていたか、という話。漠然とただ果てしない海だったね、という話。

 


 

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デュッセルドルフ滞在記2-10

 

10日目、土曜日。昨日お会いした元駐妻の方にばったりトラムで会う。こういうサイズ感もきっとデュッセルドルフならではなのかな。

 

トラムを降りると手を振って近づいてくる人がいる。「ENGEKI QUEST」のドイツ語への翻訳をお願いするかもしれない人。その瞬間に「あ、この人にお願いしよう」と思った。話してみてその直感は確信に変わった。よろしくお願いします。彼は16歳で日本を飛び出てから世界各地を転々としている。いい友だちになれそうだと思う。デュッセルはなんとなく恋の気配が漂う町なんだよね、と話すと、「ちからさんもどっぷり浸かってみたらいいんじゃないですか」と。うーん、そうねえ……。創作期間中はそういう気分にならないのよね正味の話。そもそも、通りすぎていくalienに過ぎないというね……(またきっと来るとはいえ)。

 

彼にお願いして、インマーマン近くにある日本人キャバクラ(ガールズバー?)の料金を一緒に調べに行く。おそらく飲み物代に場所代が含まれているシステム。でも実際は女の子におごったりしてそこそこの値段になるやつかな? どうかな?(……というわけで一緒に行ってくれる人、募集中です★)

 


Kagayaでサバの塩焼き定食をいただいた後、駅裏エリアを歩いてキーフェルン通りへ。フリマやライブなど、家族連れで楽しめるフェスが開催されている。実はmiuさんからあるミッションを授かっていた。「この通りの顔役である2人のアーティストを探してみて。おいらの名前を言えばわかると思うよ」。でもmiuさんそれはちょっとハードル高いっす。せめて誰か知り合いがいればなあ……。とりあえずアルトビール2杯分くらい呑むあいだに誰か例えばヴォルフガングとか通りがかったりしないかな、と期待してみたが、昨夜のロングウォーキングの疲れもあり、1杯呑んだだけで猛烈な眠気に襲われる。こらあかん。体調のキープは異国での滞在で不可欠なので、ここは名誉ある撤退を……。

 


家で1時間ほど眠って復活。Uバーンでホルトハウゼンの次の駅へ。アトリエKunst im Hafen e.Vでいくつかの美術作品を拝見する。マスヤマさんの不思議な球体、木村恒介さんの魅力的なコラージュ写真など。面白いなあ。そしていろんな人が集まっている。マリエ嬢の作品は初めどこに展示されているかわからず、迷路のようなアトリエ内を探索し、ようやくたどりついた。それは彼女にとっての「自由」を物象化したらこうなるのかもな、と思えるものだった。

 

ビールやワインをいただきながら、しみじみ話したり、音を鳴らして騒いだり……。サトシ君が実はかなり名うてのゲーマーだったという事実はここに記しておこう。すごくいい夜だった。新しい出会い、そして嬉しい再会。深夜1時過ぎまで宴は続いた。

 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-9

 

9日目、金曜日。忘れがたい日になった。痛み止めのジェル。日本人駐在妻の「白壁症候群」の話。日曜日のサッカーのチケット購入。突然の訃報とキレピッチュ……。ハイネ・ハインリヒ・アレーのアル中たち。WELTKUNSTZIMMERのトイレに閉じ込められる。結果、ビールを奢ってもらう。さらに再会したヴォルフガングにビールを奢ってもらう。彼との夜の長いウォーキング&トーキング。ゲリラ的な映写。日本人はあのことを忘れようとしているのか、いや、忘れることはできないのです。バーベキューの後、「気をつけて!」と見送ってくれるヴォルフガング。「金をくれ」とせびってくる中央駅の若い女。深夜2時。防御力+1程度の帽子を目深に被る。右手をポケットに入れて歩く。反省。まだ死にたくない。素晴らしい夜の最後に反省。肝に銘じたい。

 


『Urban Space Video Walk 2016』の上映場所メモ


1.北京の話@工場の外壁
2.暗黒舞踏@空き地
3.クィアの物語@パブの中
4.ポケモンGO@公園
5.声と字幕@大企業ビルの外壁
6.家の歴史@空き家の中、白い壁

 

ビルの壁はたぶんゲリラだった。「別に壁に傷をつけるわけではないからね。ただ光を当てるだけさ。いいアイデアだろう?」

 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-8

 

8日目、木曜日。寝違えた。首が痛い。しかしようやくこれにて、時差を気にする生活ともサヨナラできそう。

 

今日は今いるあたりの近所を攻めてみる。再開発された遊歩道を歩いていると、「シューディグン!」と子どもに声をかけられる。ボールを拾ってくれという。で、ふと横を見ると、ある記念碑が。独英両言語で書いてある。ナチス時代のできごとについて。子どもたちは無邪気に遊んでいる。そしてまた遠くにボールを飛ばしてしまい、途方に暮れている。微笑ましい。

 

Sバーン、バス、トラムを乗り継いで、デュッセルドルフの周縁(の一角)を巡ってみる。市街地を少し離れるだけで景色が変わる。でもただ移動するだけではあまり意味がない。どうやったら物語が降りてくるのだろう。そういうタイミングや場所があるはず。

 

疲れ果ててTENTENカフェに。リモナーデ(レモネード)を呑む。隣の席ではタンデムのカップルが(タンデムというのは、お互いの言語について2人で教え合う行為)。このカフェはタンデムのスポットになっている。うまくいってる場合と、うまくいってない場合というのが、傍目にもわかる。隣のカップルは、そのどうしようもないディスコミュニケーションを楽しんでいるように見えた。

 

「私は社長です。私は会社員です。それはわかります。でも、私は営業です、って変な日本語じゃないですか?」

「……うん、鋭いね。えっと……」

 

夜はタンツハウス(tanzhaus)のシーズンオープニング。パフォーマーがみな全裸だった。ついでに言うと、2人ほどの観客も全裸だった(tanzhaus的にもこの演目についてはOKということにしたらしい。ただしそのまま電車には乗らないでください、と)。日本だと全裸はアウトなので……という話をFFTのクリストフにしたら、「それはどうしてだい?」と訊かれる。久しぶりに会ったクリストフの背の高さに驚く。でけえなあ。2メートルくらいあるんじゃないかなあ。観劇後はヴォリンガー広場から歩いて帰ったのだが、薄暗い道で、治安面ではそれなりに不安。大男とすれ違うたびに身構えてしまう。襲われたらひとたまりもないけど、最初の一撃さえしのげればなんとか逃げられるかな、とか考えながら。夜のデュッセルは別の顔になる。とはいえ酒場の明かりはまだ灯っていて、男たちが黙々と、ビールをその孤独な身体に注ぎ込んでいる。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BKI5oIzBdIV/

場所に歴史あり。 #engekiquest

デュッセルドルフ滞在記2-7

 

7日目、水曜日。ようやく朝の8時まで眠れた。5時くらいに起きてしまう老人のような生活にこれでオサラバできるといいんだけど……。後はもうただ、デュッセルドルフの太陽が昇って沈むことだけを考えたい。(お約束している劇評を含め、書き仕事はやりますよ。)

 

 

今日は、とりあえず無目的に、目の前に来たトラムに乗ってみる、という行為を繰り返してみた。トラムは蛇のように都市の中をするすると這っていく。意外なところに繋がるたびに、脳内地図にある都市のノード(結節点)が書き換わっていく。「聖地」に巡礼した後、適当に歩いていくと、飾り窓に着いた。おじさんが口笛を吹きながら、そこから出てきた。

 

偶然と直感に身を任せるのは楽しい。けれど一方では、全体の設計も練らなくてはいけない。デュッセルドルフの各エリアごとに、これまで集めた情報を整理してみる。去年撮り貯めた写真も見ながら、記憶を再度、具現化していく。情報量がまだ全然足りてないなこれは……と思った。とはいえここから欲しいのは、デュッセルドルフの観光案内的な情報ではなくて、もっと私的な、個人的な情報。またの名を物語ともいう。物語が欲しい。とにかく遊歩を繰り返してみようと思う。それでばったり誰かに会えるといいな。

 

 


ちなみに、ある日系レストランで夕飯を食べたのだが、働いている女の人が極めてカリカリしていて、新人とおぼしき人を何度も何度も叱っていた。こういう人はきっと「自分は仕事できる人間だ、なのにこいつは……」と自己認識しているのだが、目の前でそんなことをされればラーメンが不味くなるに決まっていて、だから客商売としてはむしろ失格である。悔い改めていただきたい。というか、日本から遠く離れたここデュッセルドルフまで来て、幸せを目減りさせるようなことをどうしてしなければならないのか?

 

でも、そうなってしまう人がいる、という現実も、やはり都市は呑み込んでいるのだと思う。ここも当然、理想郷ではない。LIEBE DEINE STADT(あなたの町を愛しなさい)。

 

 

かなり迷ったが、これもかりそめの根を下ろすためのひとつの儀式だと思い、ジャガイモ2.5kgを買って帰宅した。ジャガイモには3種類あった。後でわかったのだが、わたしは「煮崩れしにくい」という中間のやつを選んだようだった。常時ネットに接続できれば、その場で調べられるんだけど……。でも数日前に比べれば、ドイツ語表記に対する恐怖心(?)もだいぶ消えてきたのを感じる。どうしても必要な場合は誰かに訊けばいい、という楽観的な身体もできてきた。町の人たちがふとしたことで話しかけてくる確率もだいぶ高いし。今日はおばあさんが「今何時?」と訊いてきた。彼女は腕時計をしていたが、どうもそれが狂っているようだった。

 

帰宅すると、家主である若き写真家がいた。「面白い場所を知ってたらぜひ教えてね」とお願いすると、「面白い、ってどういう場所ですか?」と質問。うーん、そうねえ……

 

そこに立ってみた時に、違和感を抱くような場所。何かが起こるような場所。

風通しがよい場所。もしくは逆に、吹き溜まっているような場所。

 


……デュッセルドルフでの滞在制作は楽しい。けれど締切があるわけだから、時限爆弾を抱えているようなものだし、何も心配がないわけではない。最初の話に戻るけれど、ただデュッセルドルフの太陽の恵みだけを考えられればどんなに幸せかと思う。実は風邪をひきそうなのがちょっと心配。だから生姜も買ってきた。お茶に入れて眠る。

 

 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-6

 

6日目、火曜日。引っ越しをする。陽当たりの良かったあきこさんの家を去るのは寂しいけれど、たぶんここから「次」が始まるのだろう。今度の家主は若い写真家。なんと子供鉅人の益山兄と同郷らしい。ヌードを撮っているとのこと。作品を見せてもらった。彼はアジア各地を放浪し、様々な人々のヌードを撮っていた。今は笑い話になっているとはいえ、やや危ない目にも遭ってきたようだ。そうして今はここデュッセルドルフに拠点を置いて、ヨーロッパの人たちのヌードを撮っている。とても面白い。彼の佇まいはなんだかふわっとしていて、脱いでください、と言われたら脱いでしまうのもわかる気がする。

 

夜はMiki Yui & Carl Stoneのコンサート。様々な音をサンプリングしているのだが、そのボキャブラリーが豊かで、ただ心地良いのみならず、イメージを膨らませることもできた。去年も使われていたホノルルの時報がやはり気になる……。そして会場ではいろいろな人たちに出会う。ドイツ語が話せないのが申し訳なくもあるけれど、英語でいろいろ喋りたい気分でもあり、しばらくおしゃべりをして過ごす。いくつかの約束もした。とりあえず流れに乗って、どこにたどり着くか試してみたい。

 

 

昼はENGEKI QUESTのリサーチをしていた。Flingernの近く、フルール通りのあたりをメインに。男の子が立ち止まって微笑んでいる。影の長さをわたしのそれと合わせているのだ。かわいいなー。自転車でぐるぐると同じところを走り回っている2人組の女の子とか。

 

西日を正面に受けながら、ビルケン通りを歩いていく。この都市にはなんとなく物語が生まれる気配が漂っていて、それは、外からやってきた人たちの存在がそうさせているのではないかと思う。人間にはおそらく引力がある。離れたり、近づいたり。ちょうど大道寺梨乃が、イタリアでの生活で感じる「ノスタルジー」について書いている文章を読んだ。ああ、りのと話したかったな(イタリアに行くのはひとまず断念した……)。単に故郷が懐かしい、ということではきっとないのだろう。いろんな人の複雑な感情や履歴が交錯する。それが都市であり、町である。今の家主の写真家は、部屋をアトリエにしているのだが、その壁には、モデルとしてやってきた人たちが絵を描いている。絵は、積み重なっている。それが町だと思うんです、と彼は言った。

 

今回のENGEKI QUESTはいつも以上に虚実入り混じったものになると思う。物語が現実と溶け合うような状態を、この都市では実現できる気がする。

 

 

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