BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

デュッセルドルフ滞在記2-12

 

12日目、月曜日。10時間ほど爆睡。今日は一日オフにしよう。……と思いきや、劇場FFTとの打合せが夕方に入る。カトリンやマリアと久しぶりの再会。当初の進行予定より遅れてるので、やべえ怒られるかな……と内心ヒヤヒヤしつつ、カトリンの「では新しいスケジュールについて話し合いましょう」のひと声に救われる。がんばりまーす。クリストフの淹れてくれたコーヒーが美味しい。
 
 
少し日本語ができるインターンのマリーを紹介してもらう。デュッセル生まれのあなたにぜひ協力してほしい、とお願いすると、「私はノイス生まれです」との答え。なるほどそういうアイデンティティの持ち方があるのか。ノイス、1日乗車券の範囲外だけど、やっぱり行ってみないとなあ……。
 
 
夜は閉店で追い出されるまで、ペンペルフォルトでまったりと呑む。時間は有限であり、だからこそ切ないとはいえ、この町にいられるあと1ヶ月半という残り時間は、きっと無尽蔵のアルトビールを愛と友情に変えてくれるくらいの何かではあると思う。
 
 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-11

 

11日目、日曜日。デュッセルドルフのサッカーチーム・フォルトゥナ(ブンデスリーガ2部)の試合をひとりで観戦。赤いユニフォームを来た男たちについていけばスタジアムにたどりつく。ゴール裏はすでに超満員。4ユーロとちょっとお高いアルトビールを片手に、最上列に陣取る。この日の観客は25000人。相手はグロイター・フュルト。先制され、ジリジリした時間帯がつづく。Jリーグで某チームの試合をほぼ毎回スタジアムで観戦していた身としては、このジリジリ感は懐かしくもある……。後半残り10分くらいでやっと追いついた。逆転まで行ければよかったんだけど。

 

スタジアムの上空を何度も何度も飛行機が飛んでいく(空港が近いから)。フォルトゥナのサポーターたちは、いつもこういう風景を見ているんだな……。

 


立ちっぱなしの観戦の上に、さらにリサーチのために歩き回ったので、疲労困憊。アルトシュタットで妙薬・キレピッチュを呑んで回復を図る。夜は醸造シューマッハで大輔くんとのむーと呑む。大輔くんは同じく高知出身で、ボンの大学で哲学を学んでいる。お互い、思えば遠くに来たもんだ。海の向こうに何が見えていたか、という話。漠然とただ果てしない海だったね、という話。

 


 

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デュッセルドルフ滞在記2-10

 

10日目、土曜日。昨日お会いした元駐妻の方にばったりトラムで会う。こういうサイズ感もきっとデュッセルドルフならではなのかな。

 

トラムを降りると手を振って近づいてくる人がいる。「ENGEKI QUEST」のドイツ語への翻訳をお願いするかもしれない人。その瞬間に「あ、この人にお願いしよう」と思った。話してみてその直感は確信に変わった。よろしくお願いします。彼は16歳で日本を飛び出てから世界各地を転々としている。いい友だちになれそうだと思う。デュッセルはなんとなく恋の気配が漂う町なんだよね、と話すと、「ちからさんもどっぷり浸かってみたらいいんじゃないですか」と。うーん、そうねえ……。創作期間中はそういう気分にならないのよね正味の話。そもそも、通りすぎていくalienに過ぎないというね……(またきっと来るとはいえ)。

 

彼にお願いして、インマーマン近くにある日本人キャバクラ(ガールズバー?)の料金を一緒に調べに行く。おそらく飲み物代に場所代が含まれているシステム。でも実際は女の子におごったりしてそこそこの値段になるやつかな? どうかな?(……というわけで一緒に行ってくれる人、募集中です★)

 


Kagayaでサバの塩焼き定食をいただいた後、駅裏エリアを歩いてキーフェルン通りへ。フリマやライブなど、家族連れで楽しめるフェスが開催されている。実はmiuさんからあるミッションを授かっていた。「この通りの顔役である2人のアーティストを探してみて。おいらの名前を言えばわかると思うよ」。でもmiuさんそれはちょっとハードル高いっす。せめて誰か知り合いがいればなあ……。とりあえずアルトビール2杯分くらい呑むあいだに誰か例えばヴォルフガングとか通りがかったりしないかな、と期待してみたが、昨夜のロングウォーキングの疲れもあり、1杯呑んだだけで猛烈な眠気に襲われる。こらあかん。体調のキープは異国での滞在で不可欠なので、ここは名誉ある撤退を……。

 


家で1時間ほど眠って復活。Uバーンでホルトハウゼンの次の駅へ。アトリエKunst im Hafen e.Vでいくつかの美術作品を拝見する。マスヤマさんの不思議な球体、木村恒介さんの魅力的なコラージュ写真など。面白いなあ。そしていろんな人が集まっている。マリエ嬢の作品は初めどこに展示されているかわからず、迷路のようなアトリエ内を探索し、ようやくたどりついた。それは彼女にとっての「自由」を物象化したらこうなるのかもな、と思えるものだった。

 

ビールやワインをいただきながら、しみじみ話したり、音を鳴らして騒いだり……。サトシ君が実はかなり名うてのゲーマーだったという事実はここに記しておこう。すごくいい夜だった。新しい出会い、そして嬉しい再会。深夜1時過ぎまで宴は続いた。

 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-9

 

9日目、金曜日。忘れがたい日になった。痛み止めのジェル。日本人駐在妻の「白壁症候群」の話。日曜日のサッカーのチケット購入。突然の訃報とキレピッチュ……。ハイネ・ハインリヒ・アレーのアル中たち。WELTKUNSTZIMMERのトイレに閉じ込められる。結果、ビールを奢ってもらう。さらに再会したヴォルフガングにビールを奢ってもらう。彼との夜の長いウォーキング&トーキング。ゲリラ的な映写。日本人はあのことを忘れようとしているのか、いや、忘れることはできないのです。バーベキューの後、「気をつけて!」と見送ってくれるヴォルフガング。「金をくれ」とせびってくる中央駅の若い女。深夜2時。防御力+1程度の帽子を目深に被る。右手をポケットに入れて歩く。反省。まだ死にたくない。素晴らしい夜の最後に反省。肝に銘じたい。

 


『Urban Space Video Walk 2016』の上映場所メモ


1.北京の話@工場の外壁
2.暗黒舞踏@空き地
3.クィアの物語@パブの中
4.ポケモンGO@公園
5.声と字幕@大企業ビルの外壁
6.家の歴史@空き家の中、白い壁

 

ビルの壁はたぶんゲリラだった。「別に壁に傷をつけるわけではないからね。ただ光を当てるだけさ。いいアイデアだろう?」

 

 

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https://www.instagram.com/p/BKJDwtNBJN4/

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デュッセルドルフ滞在記2-8

 

8日目、木曜日。寝違えた。首が痛い。しかしようやくこれにて、時差を気にする生活ともサヨナラできそう。

 

今日は今いるあたりの近所を攻めてみる。再開発された遊歩道を歩いていると、「シューディグン!」と子どもに声をかけられる。ボールを拾ってくれという。で、ふと横を見ると、ある記念碑が。独英両言語で書いてある。ナチス時代のできごとについて。子どもたちは無邪気に遊んでいる。そしてまた遠くにボールを飛ばしてしまい、途方に暮れている。微笑ましい。

 

Sバーン、バス、トラムを乗り継いで、デュッセルドルフの周縁(の一角)を巡ってみる。市街地を少し離れるだけで景色が変わる。でもただ移動するだけではあまり意味がない。どうやったら物語が降りてくるのだろう。そういうタイミングや場所があるはず。

 

疲れ果ててTENTENカフェに。リモナーデ(レモネード)を呑む。隣の席ではタンデムのカップルが(タンデムというのは、お互いの言語について2人で教え合う行為)。このカフェはタンデムのスポットになっている。うまくいってる場合と、うまくいってない場合というのが、傍目にもわかる。隣のカップルは、そのどうしようもないディスコミュニケーションを楽しんでいるように見えた。

 

「私は社長です。私は会社員です。それはわかります。でも、私は営業です、って変な日本語じゃないですか?」

「……うん、鋭いね。えっと……」

 

夜はタンツハウス(tanzhaus)のシーズンオープニング。パフォーマーがみな全裸だった。ついでに言うと、2人ほどの観客も全裸だった(tanzhaus的にもこの演目についてはOKということにしたらしい。ただしそのまま電車には乗らないでください、と)。日本だと全裸はアウトなので……という話をFFTのクリストフにしたら、「それはどうしてだい?」と訊かれる。久しぶりに会ったクリストフの背の高さに驚く。でけえなあ。2メートルくらいあるんじゃないかなあ。観劇後はヴォリンガー広場から歩いて帰ったのだが、薄暗い道で、治安面ではそれなりに不安。大男とすれ違うたびに身構えてしまう。襲われたらひとたまりもないけど、最初の一撃さえしのげればなんとか逃げられるかな、とか考えながら。夜のデュッセルは別の顔になる。とはいえ酒場の明かりはまだ灯っていて、男たちが黙々と、ビールをその孤独な身体に注ぎ込んでいる。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BKI5oIzBdIV/

場所に歴史あり。 #engekiquest

デュッセルドルフ滞在記2-7

 

7日目、水曜日。ようやく朝の8時まで眠れた。5時くらいに起きてしまう老人のような生活にこれでオサラバできるといいんだけど……。後はもうただ、デュッセルドルフの太陽が昇って沈むことだけを考えたい。(お約束している劇評を含め、書き仕事はやりますよ。)

 

 

今日は、とりあえず無目的に、目の前に来たトラムに乗ってみる、という行為を繰り返してみた。トラムは蛇のように都市の中をするすると這っていく。意外なところに繋がるたびに、脳内地図にある都市のノード(結節点)が書き換わっていく。「聖地」に巡礼した後、適当に歩いていくと、飾り窓に着いた。おじさんが口笛を吹きながら、そこから出てきた。

 

偶然と直感に身を任せるのは楽しい。けれど一方では、全体の設計も練らなくてはいけない。デュッセルドルフの各エリアごとに、これまで集めた情報を整理してみる。去年撮り貯めた写真も見ながら、記憶を再度、具現化していく。情報量がまだ全然足りてないなこれは……と思った。とはいえここから欲しいのは、デュッセルドルフの観光案内的な情報ではなくて、もっと私的な、個人的な情報。またの名を物語ともいう。物語が欲しい。とにかく遊歩を繰り返してみようと思う。それでばったり誰かに会えるといいな。

 

 


ちなみに、ある日系レストランで夕飯を食べたのだが、働いている女の人が極めてカリカリしていて、新人とおぼしき人を何度も何度も叱っていた。こういう人はきっと「自分は仕事できる人間だ、なのにこいつは……」と自己認識しているのだが、目の前でそんなことをされればラーメンが不味くなるに決まっていて、だから客商売としてはむしろ失格である。悔い改めていただきたい。というか、日本から遠く離れたここデュッセルドルフまで来て、幸せを目減りさせるようなことをどうしてしなければならないのか?

 

でも、そうなってしまう人がいる、という現実も、やはり都市は呑み込んでいるのだと思う。ここも当然、理想郷ではない。LIEBE DEINE STADT(あなたの町を愛しなさい)。

 

 

かなり迷ったが、これもかりそめの根を下ろすためのひとつの儀式だと思い、ジャガイモ2.5kgを買って帰宅した。ジャガイモには3種類あった。後でわかったのだが、わたしは「煮崩れしにくい」という中間のやつを選んだようだった。常時ネットに接続できれば、その場で調べられるんだけど……。でも数日前に比べれば、ドイツ語表記に対する恐怖心(?)もだいぶ消えてきたのを感じる。どうしても必要な場合は誰かに訊けばいい、という楽観的な身体もできてきた。町の人たちがふとしたことで話しかけてくる確率もだいぶ高いし。今日はおばあさんが「今何時?」と訊いてきた。彼女は腕時計をしていたが、どうもそれが狂っているようだった。

 

帰宅すると、家主である若き写真家がいた。「面白い場所を知ってたらぜひ教えてね」とお願いすると、「面白い、ってどういう場所ですか?」と質問。うーん、そうねえ……

 

そこに立ってみた時に、違和感を抱くような場所。何かが起こるような場所。

風通しがよい場所。もしくは逆に、吹き溜まっているような場所。

 


……デュッセルドルフでの滞在制作は楽しい。けれど締切があるわけだから、時限爆弾を抱えているようなものだし、何も心配がないわけではない。最初の話に戻るけれど、ただデュッセルドルフの太陽の恵みだけを考えられればどんなに幸せかと思う。実は風邪をひきそうなのがちょっと心配。だから生姜も買ってきた。お茶に入れて眠る。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BKDvb0ngiPz/

 

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デュッセルドルフ滞在記2-6

 

6日目、火曜日。引っ越しをする。陽当たりの良かったあきこさんの家を去るのは寂しいけれど、たぶんここから「次」が始まるのだろう。今度の家主は若い写真家。なんと子供鉅人の益山兄と同郷らしい。ヌードを撮っているとのこと。作品を見せてもらった。彼はアジア各地を放浪し、様々な人々のヌードを撮っていた。今は笑い話になっているとはいえ、やや危ない目にも遭ってきたようだ。そうして今はここデュッセルドルフに拠点を置いて、ヨーロッパの人たちのヌードを撮っている。とても面白い。彼の佇まいはなんだかふわっとしていて、脱いでください、と言われたら脱いでしまうのもわかる気がする。

 

夜はMiki Yui & Carl Stoneのコンサート。様々な音をサンプリングしているのだが、そのボキャブラリーが豊かで、ただ心地良いのみならず、イメージを膨らませることもできた。去年も使われていたホノルルの時報がやはり気になる……。そして会場ではいろいろな人たちに出会う。ドイツ語が話せないのが申し訳なくもあるけれど、英語でいろいろ喋りたい気分でもあり、しばらくおしゃべりをして過ごす。いくつかの約束もした。とりあえず流れに乗って、どこにたどり着くか試してみたい。

 

 

昼はENGEKI QUESTのリサーチをしていた。Flingernの近く、フルール通りのあたりをメインに。男の子が立ち止まって微笑んでいる。影の長さをわたしのそれと合わせているのだ。かわいいなー。自転車でぐるぐると同じところを走り回っている2人組の女の子とか。

 

西日を正面に受けながら、ビルケン通りを歩いていく。この都市にはなんとなく物語が生まれる気配が漂っていて、それは、外からやってきた人たちの存在がそうさせているのではないかと思う。人間にはおそらく引力がある。離れたり、近づいたり。ちょうど大道寺梨乃が、イタリアでの生活で感じる「ノスタルジー」について書いている文章を読んだ。ああ、りのと話したかったな(イタリアに行くのはひとまず断念した……)。単に故郷が懐かしい、ということではきっとないのだろう。いろんな人の複雑な感情や履歴が交錯する。それが都市であり、町である。今の家主の写真家は、部屋をアトリエにしているのだが、その壁には、モデルとしてやってきた人たちが絵を描いている。絵は、積み重なっている。それが町だと思うんです、と彼は言った。

 

今回のENGEKI QUESTはいつも以上に虚実入り混じったものになると思う。物語が現実と溶け合うような状態を、この都市では実現できる気がする。

 

 

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https://www.instagram.com/p/BKBORYEAASa/

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デュッセルドルフ滞在記2-5

 

5日目、月曜日。残念ながら早朝に目覚める。日本はもう昼頃だ、とか考えてしまうのがきっとよくないのだろう。去年ここに来て、編集の仕事をもう断念せざるをえないだろうと感じたのも、煎じ詰めればこの時差ボケに起因する。旅と物書きは両立できるけど、旅と編集仕事を両立させるのはとてもむずかしい。

 

ラーメン匠に並んでいたら「英語は話せるか?」と白人系のおじさんに話しかけられる。旅行者らしい。「あっちのラーメンと寿司はすでに試したが、こっちは良いか?」「良いと思う。ただしそれは1年前の話です。なぜなら……」などと話していると、店員に「お二人様ですか?」と訊かれて、なんだか吹き出してしまう。「ええ、今知り合ったばかりですが」。

 


「ニュースダイジェスト」の高橋萌さんがインタビューしてくださった。なんと3時間半超え……。自分がこれまでどんな人たちと出会ってきたか、何を大事にしてきたか、自分が考える芸術の意義、そしてそれらがENGEKI QUESTとどう関係しているのか。そんな話をした。(ポケモンGOとの共通点と違いについても話した。きっとそういう話もしたほうがよいと思って、用意していた。しかしそれ以上に根源的な話をたくさんできてよかった……。)

 

萌さんがデュッセルドルフに暮らすことになった経緯もすごく興味深い。人が移動する時、そこには物語が生まれるということだろう。ある日本人駐在員の妻の話。足を失ったドイツ人アスリートの話。多和田葉子さんの話。……この世界はそれぞれの見える世界=ヴィジョンによって成り立っている。

 

ENGEKI QUESTは個々人のヴィジョンと身体感覚を引き出し、そこに刺激を与えることによって、その未知の可能性をひらいていく。それはおそらく、人間の鬱屈を解き放ち、暴力を解除することにも繋がるだろう。わたしはそう信じる。暴力では、暴力を根絶することはできない。

 

マニラでは究極的にはたぶん雨が、孤独な人々を結びつけた。ここデュッセルドルフでは何がそれを可能にするだろう?

 

 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-4

 

4日目、日曜日。もちろん早朝に目覚める。イタリアにいる梨乃のアドバイスに従って、パスタにリベンジ。ニンニクとタマネギをちゃんと炒めただけで、だいぶいい感じになった。

 

あきこさんに導かれて、初の自転車。たぶん海外で自転車に乗るのは初めてだと思う。自動車やトラムのいる車道を走るのはけっこう怖い。けれどドイツでは歩道を走ると罰金40ユーロらしい。乗ってみてよかった。なるほど、町の見え方が全然違ってくる。

 

 

オープンアトリエKunstpunkteで、Soya Arakawaさんのパフォーマンスを観る。ドアが開け放たれ、外の雑音が入ってきまくりのホワイトキューブの中で、カンヴァスに絵の具で線が何度も何度も引かれていく。さらに、こねられた粘土の断片がすりつけられ、奇妙な歌声が響く。ふだん批評家としては、過度に自分のイマジネーションに引き寄せるのはNGだと考えているのだが、今のわたしはちょっと違うモードになっている。このカンヴァスはデュッセルドルフの地図であり、そこに引かれる無数の線は、この都市を行き交う人々の姿に見える。

 

会場で、デュッセルの呑みソウルメイト(とわたしが勝手に思っている)マリエ嬢に偶然再会した。醸造シューマッハで地図を見ながらいろいろ話す。彼女は去年よりもさらに自由になったようであった。けれど、異国での暮らしで自由であるということは、傍目に見えるほどにはラクではないだろう。とはいえ人間はそんなに自分の生き方を選べるものでもない。とにかく彼女は次々とコップを空にしていく。アルトビール五臓六腑に染み渡る。

 

 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-3

 

3日目、土曜日。相変わらず早朝に目覚める。アルトシュタットの醸造所シュルッセルにMさんを案内する。彼女とこうして長く話すのは初めて。海外でたまたま居合わせたから仲良くなる、というケースはやっぱりある。

 

土曜日のアルトシュタットは、いろんな人種の人々でごったがえしている。なんか変だな、と思ったら、トラムがほぼ地下化されてしまったのだった。安全になったとはいえ、あのカーブを描いて入ってくる路線がなくなったのは残念……。

 

tanzmesseのクロージングパーティは断念。今はこの都市での生活の足場をつくることに専念したい。そう思って、スーパーマーケットでトマトソースを買って帰宅。パスタを茹でたのだが、ありえない味になった……。

 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-2


2日目、金曜日。早朝に目覚める。tanzmesse(ダンスの見本市)に山口真樹子さんがいるらしいので、ライン川沿いをてくてく歩いて訊ねる。2014年に彼女にマンハイムに呼んでもらわなかったら、今自分がここにいることはたぶんなかった。

 

tanzmesseには世界各地から人が集まり、ブースがたくさん出ている。日本からはTPAMと国際交流基金が出展。ヒロミン、タン・フクエン、チョイ・カファイらとも少しだけ話す。旅人・カファイから進行中のプロジェクトの話を聞いて、いい刺激をもらった。どんな刺激を受けたかについては今ここには書かない。

 

アルトシュタットまで歩いて、定期券を購入。52.95ユーロ。やったね。これでトラムもバスも乗り放題に。カフェTENTENで少し作業してから、醸造シューマッハまで歩いていく。すると聞き覚えのある声に遭遇。火曜日のコンサートにお誘いいただく。去年の滞在から、何かがゆるやかに繋がっている。

 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-1

 

初日、木曜日。例によって、2度目の都市を訪れる時はナーバスだ。特に今回はいくつかの要因が重なっている。日本から持ってきた仕事のこととか。まだ全然デュッセルドルフ版のテクストを書けてないとか。そもそもこの遠く離れた都市で何ができるのか、とか。この1年でヨーロッパの情勢も大きく変わった。どちらかというとその変化は芳しいものではなく、ENGEKI QUESTにとっては難問でもある。挑戦し甲斐がある、みたいな簡単な言葉で済ますこともできないような。

 

けれど飛行機から、緑あふれるドイツの大地を見て、気持ちが昂ぶった。アジアのそれとは異なるヨーロッパの森であり、田園だった。この土地で生きてきた人たちのこと、その歴史、そして今も人々を生きさせている、この大地の力強さを感じる。

 

 

Sバーンに乗ると、見慣れた風景。去年、この都市を歩きまわった記憶がまざまざと蘇ってきた。懐かしい……。ヨーロッパを訪れてこんなファミリアな気持ちが湧いたのは初めてのことだ。中央駅でトラムに乗り換えて、あきこさんの家へ。お久しぶりのような、そうでもないような不思議な気分。おかえり、と言ってもらえるのが嬉しい。

 

疲労困憊ではあったけれど、アルトビールが呑みたい。miuさんに無理を言って、少し散歩してから近くのバーへ。この1年のお互いの変化について話す。ある男の子との出会いについてmiuさんは語ってくれた。もしや、と思って苗字を訊いてみたら、やはりそれは、足の長い男の子のことだった。

 

 

 

 

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https://www.instagram.com/p/BJ0-qYVgXPZ/

 

 

中国・近況報告その5

「私の働いているスペースに遊びに来ればいい」とダミンが誘ってくれたのだが、その場所は、なんと訪問予定に入っていたPSA(Power Station of Art)だった。午前中は、マッサージ店という名の売春街か、ナイトマーケット跡地、あるいは朝市に向かうつもりだったけど、せっかくなのでダミンと話したいなと思い、ひと足先に地下鉄でPSAに向かうことに。最寄り駅に着いてみると、遠くからPSAの異様な煙突が見える。元は発電所だった建物が、今は美術館になっているのだ。社食をご馳走になり、中国のこと、日本のこと、未来のことなどをダミンと話す。午後には他のメンバーも合流。PSAが去年から始めた演劇ブランド「聚裂 ReActor」というプログラムについて聞く。そこにラインナップされた作品は極めて実験的で興味深いもので、特に組合嬲というカンパニーの観客への挑発ぶりは凄い。多田淳之介のラディカルさを思わせる。

 
 
夜のレクチャー&会食には、その組合嬲創設者であり演出家であるチャン・シェンが現れた。老齢に差し掛かった、穏やかな顔つきのおじさまだが、「伝統的な演劇の貞操を破りたい」と言う彼の思想や活動はとても刺激的で、誰かに心酔するということはまずないわたしだが、惚れそうになった。通訳・速記泣かせとして有名らしく、その怒濤の語り口をシンシンが頑張って通訳してくれた。検閲を潜り抜けるための彼の知恵、そして批評精神には目を瞠るものがある。「わたしはあなたからもっとたくさんのことを学びたい」と言うと、チャン・シェンは、「学ぶのではなく、友だちになるのがいい」と言った。
 
 
 
PSAで観た展示、Boonsri Tangtrongsinの『Superbarbara Saving the World』に胸を打たれた。ダッチワイフのスーパーバーバラが、この世界のために我が身を犠牲にして様々な献身的行為をする。何度も、何度も、その献身は繰り返される。それはまったくの徒労でしかない。しかしバーバラはへこたれることなく、何度も、何度でも、みずからの股間にある女性器から産まれ直すのだった。
 
 
 
 
上海には遠くないうちにまた来ることになりそうだ。あとはこちらのスケジュール、意欲、交渉次第。北京に比べて商業主義寄りだと聞いていたけれど、百聞は一見に如かず。実際にはかなり実験精神に溢れた土壌があり、アメーバ的な活動が根を広げつつあるようだ。そのバブル経済のゆくすえは不透明ではあるけれど、ひとまず今、ここに夢があるのは間違いない。上海ドリーム。横浜、マニラに続いての活動拠点になるだろうか。
 
演劇最強論in中国のパートナーである徳永京子さんに感謝。そして何から何までアテンドしてくださった日本文化中心(国際交流基金)の後井隆伸さんと呉珍珍さんには、足を向けて寝られない。
 
 
 
飛行機で、隣のおばちゃん姉妹が豆をくれた。神戸に移り住んで28年になるという。それぞれ日本人と結婚したが、姉は中国籍で、妹は日本籍。「中国と日本には喧嘩してほしくない。政府だけが喧嘩をしている。私たちは喧嘩していないのに」
 
 
1時間機内で待って、ようやく飛び立った機内から揚子江が見えた。それは、もはや川とかいうレベルではない何かであり、それ自体が巨視的な意志を持っているかのようだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

中国・近況報告その4

上海、ヤバイ! 意識を高揚させられる何かがこの都市にはある。今日の上海話劇中心でのレクチャーはライブ中継もしてもらったのだが、延べ60000人超、最大瞬間風速は4000ビューを超えたらしい。さすが中国……。詰めかけてくれて立ち見まで出た5、60人の観客たちの反応も身近に感じた。

 
遡って昼間は美術館MCAMへ。キュレーターのフーさん、ワンさん、カさんらと話したのだが、当初予定を大幅に超えて3時間半くらい話し込んでしまった。ホワイトキューブでもありブラックボックスでもあることを意識したという、元々は工場だった空間も素敵で、きっとここで腕をふるってみたい日本の演出家はいるだろうなと思ったし、わたしもなんだかワクワクした。とにかく話が面白かった。もしかすると演劇よりも現代美術系のほうが、日中の共通言語があるのかもしれない。コミュニティアートについてもだいぶ話した。上海でもっと仕事してみたい。それは非現実的な選択肢ではないと感じる。
 
夜は、上海話劇中心の佳代さん(中国人です)にご馳走になった。とても美味しかった。去年、地点のワークショップの通訳だったエミーも来てくれた。エミーがいる時のシンシンは普通の女の子に戻ったような顔をする。
 
だんだん、少しずつ、人々の素顔の一面が見えてきている。2回目、というのはやはり大きい。そう、ダミンもレクチャーに来てくれた。彼女に初めて会ったのはドイツのマンハイムで、去年再会し、バイクの後ろに乗せてもらい夜の北京を疾走したのだった。気持ちよかったなあ。ポンハオ劇場で働いていたホイホイさん。そして去年、Kさんが「我爱你」と言って口説いていた女性も姿を現した。レクチャーの後で彼女はしばらく入口のあたりに佇んでいたのだが、それはたぶんわたしを待ってくれていたのである。彼女は、私のことを覚えていますか?、と言う。それに対して、もちろんですよ、元気でしたか?、とわたしは応じるはずだった。しかし後片付けをしたり人につかまったりしているうちに彼女は黙って姿を消してしまった。彼女は一抹の寂しさと諦めをもってエレベーターを降り、夜の上海に消えていったのである。結局彼女が何者なのかよくわからないままなのだが、とにかく、彼女たちの時間がちゃんとこの世界で流れているのだという当たり前の事実をあらためて知ることができて嬉しい。ひとりの人間が認識できる領域はごくわずかにすぎない。体験できることも。分身の術が使えない以上、すべてを把握することはできない。そのことが愛おしい。人生は断念の連続である。だがこうとも言える。人生は運命の連続である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

中国・近況報告その3

タンユエン・リー(藤原力)として活動して5日目、ついに上海に辿り着いた。しかしネットの調子が最悪で仕事にならない。この日記もいつアップできるかわからない。意気消沈。とはいえ、逆境を楽しむことにかけてはわたしもそれなりに定評がある。

 
 
今日は早起きして、北京から杭州に飛行機で飛んだ。杭州は湖や湿地帯が広がっていて、「天には楽園があり、地には杭州がある」と言われるくらい、風光明媚な場所として栄えてきたようだ。この湿地帯に劇場がある。去年できたばかりの新しい劇場。ディレクターのイリンさん、そして若いスタッフのパパンとマニンが迎えてくれて、高級ホテル(G20では安倍首相も宿泊するかもしれない)でランチをご馳走になる。杭州料理を食べるのはおそらく初めてだが、とても美味しい。
 
実は杭州には少し寄るだけで、早々に上海に移動する予定だったが、イリンさんたちとの話が盛り上がりすぎてしまい(というか、彼女らの我々に対する好奇心は予想以上に大きく)その場で予定外の映像インタビューを受けることになった。それも、ひとことメッセージを言うだけかと思いきや、かなり根掘り葉掘り日本の現代演劇について訊かれたのである。
 
 
西湖の湖畔にあるレストランで晩御飯。ここは白蛇と青蛇の伝説で有名な巨大な湖らしく、シンシンはその地を訪れることができて興奮していると言う。こちらでは西遊記と並んでとても有名な伝説で、実写版のテレビドラマにもなったらしい。
 
 
高速鉄道で1時間ほど。いよいよ上海へ。駅からはタクシーの長蛇の列。ひとり、年老いた物乞いがその列にぶっこむような形で寝ていた。なるほどここだと、ただ半裸で寝ているだけでも結構な金額が集まりそうだ(しかも彼がいる場所はほどよくクーラーのあたるベストスポットだった)。
 
ホテルのネットの調子は北京よりひどい。と冒頭に書いた。仕事にならないので急速にやる気が失われ、そして結局今日もまた予定より働いてしまったので、冷蔵庫に置いてあったバドワイザーを呑んだら、ばたんきゅー。あっという間に眠りについた。